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2017年8月29日火曜日

落語全集 中巻 仏馬 金園社 今村信雄編


仏馬(ほとけうま) [マクラ] 後生うなぎ(ごしょううなぎ)

 「過ぎたるはなお及ばざるが如し」ということがありますが、まことにいい戒めでございます。馬喰町(ばくろちょう)にお住居(すまい)なさるある隠居さんがたいそう信心家で、したがって慈善を施し殺生ということを嫌いまして、蚊に刺されようが、のみに食われようが、決して殺しません。浅草観世音(あさくさかんぜおん)が信仰で、日参(にっさん)をしていらっしゃる。
 ちょうど四万(しまん)六千日、観世音の大割り引き、世の中にこのくらいの大割り引きはありません。一日お参りをすると四万六千日お参りをしただけの利益(りやく)があるという、仏体こそ一寸八分だが、さすが十八間(けん)四面の堂へ住まって、大きく暮らしているだけに知恵がありますから客を取ることは上手でございます。
 この隠居さん日参をするくらいゆえ今日はなおさらのこと、お参りをして帰りがけ、蔵前通(くらまえどお)りを天王橋のそばまで来ると、このごろ店を出したうなぎ屋、ふだんは気がつかなかったが、さすが紋日(もんぴ…特別な行事のある日)でお客があるとみえ、団扇(うちわ)の音をさせているので、隠居さんヒョイと見ると亭主が裂台(さきだい)へ上がって、今すでに目打ちを立てようとするからおどろいて、

隠「アアコレコレなにをするんだ」
亭「いらっしゃい、お上がんなさい」
隠「なにがお上がんなさいだ、おまえなにをするんだ」
亭「ヘェうなぎを裂いて蒲焼にするんで」
隠「では、うなぎを殺すのか」
亭「さようでございます」
隠「かわいそうだ、物の命を取ってそれを食えばどうなる」
亭「どうなるってお客さまのご注文だから、こしらえるんでございます」
隠「客という奴が心得ちがいだな、他に食い物がないわけじゃァなし、殺生をしないからってイモでもニンジンでも食ったらよさそうなものだ」
亭「そんなことをいった日にゃァ、わしどもの稼業になりません」
隠「稼業になってもならないでも俺の目にとまった以上は、どうして殺させるわけにはゆかない、俺が助けてやる、観世音参詣の帰り道、俺の目についたのは助けてやれという観世音のお導きだ、しかしただ助けろとはいわない、他の客にも売るものだから、俺もそれだけの金を出したら売ってくれるだろう」
亭「さようでございます。それはもうどなたに売るのも同じことですからお売り申してもよろしゅうございますが、なにしろ不漁続きでおまけに今日は四万六千日で、ばかなはね方をしておりますから、ちっとお高(たこ)うございますが……」
隠「高いといっても千両はしまい」
亭「エー千両はいたしません、おまけ申して二分でございます」
隠「安いものだ、じゃァ二分わたすよ」
亭「ヘエどうもありがとうございます、入れ物がなくっちゃァお持ちになれませんから、こわれていますがこの籠(かご)へ入れてさしあげます」
隠「アアもうひと足俺が遅く通ると殺されちまった、コレうなぎ、この後必ず人の目にとまるようなところにいるなよ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 因果を含めて天王橋からポチャリ川に逃がして、

隠「アアいい心持ちだ」と喜んで帰りました。それから毎日のようにうなぎ屋の前を通るたびに、亭主が裂台へ上がってうなぎを裂こうとするのを見ては買って逃がしてやる。うなぎ屋ではいい金箱ができたと喜んでいると、四五日隠居さん通らない。

亭「どうしやがったろう、この頃ちっとも隠居が通らねえが……」
女房「どうしたっておまえさんがあんまり毎日高く売るんで、隠居さんも買い切れないんで、いっそ見なければいいというのでまわり道をして新堀端(しんぼりばた)のほうでも行くんだよ」
亭「そうかも知れねえ、それじゃァ新堀へ一軒店を出そうか」
女「新堀へ店を出してどうするのさ」
亭「アノ隠居が通るだろう」
女「ダッテきっと通るかどうだかわかりゃァしない」
亭「それもそうだな、畜生どうしやがったろう、ふてえ奴だ」
女「なにがふてえんだえ、おまえのほうがよっぽどふてえ……ちょっとちょっとおまえさん噂をすれば蔭(かげ)とやら、向こうから、ご隠居さんが来たよ」
亭「エー来たァ……、ウム来た来た、じゃァきっと風邪でもひいて来なかったんだ、俺は裂台へ上がるからその手拭いを出しねぇ、鉢巻きをするんだ、ソレ襷(たすき)を出さねえか、グズグズしているうちに来るといけねえ、エーうなぎもどじょうもなかったか、ヤァしまった、なにか生きてるものはいねえか、猫はどうした」
女「猫はどこかへ遊びに行っちまったよ」
亭「しようがねえなァ、家の猫はねずみをとることを知らねえでうなぎやどじょうばかりねらってやがるから、こういう時にでも役に立てなくっちゃァ仕方がねぇ、どこへ行きゃァがったか、納得がいかねえじゃァねえか、アアしようがねえなだんだん近づいてきた、なにか生きてるものは……、アアその赤ン坊を出しねぇ」
女「おまえさん赤ン坊をどうするんだえ」
亭「どうしてもいいから出せということよ、グズグズしているうちに家の前へ来るじゃァねえか」

 ひったくるようにして赤ン坊を裂台の上へのせてギャァギャァ泣く奴を押えつけて庖丁を取り出したところへ来た隠居さん肝をつぶして店へとび込み

隠「コレコレなにをする、とんでもないばかな奴じゃァねえか、俺が四五日通らねえうちになにをしたかしれねえが、赤ン坊を殺そうなんてなんてえことだ」
亭「いらっしゃい、お上がんなさい」
隠「なにがいらっしゃいだ、赤ン坊を殺してどうする心算(つもり)だ」
亭「お客さんのご注文で」
隠「ばかをいえ、世の中に赤ン坊を食う奴があるか、とんでもねえ、わしの目にとまったからにゃァ、どうしても殺させるわけにいかねえ、俺が助けてやる」
亭「ご隠居さまの前でございますが、どうもこの頃は赤ン坊が不漁(しけ)続きで……」
隠「赤ン坊の不漁続きという奴があるか、いくらだ」
亭「お負け申して七両二分にいたしておきます」
隠「安いものだ、サア金をわたすよ」
亭「ヘエありがとうございます、では品物をお持ちくださいまし」
隠「オオ泣くな泣くな、俺がもうひと足遅かったら殺されちまうところだった、この後必ず人の目にとまるようなところにいるなよ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 因果を含めて赤ン坊を天王橋からドブーン、これは後生うなぎという落語でございますが……、まことにいい戒めでございます。

西念「弁長(べんちょう)さん困るじゃァありませんかね、あなたみたように そう酔っぱらってしまってはしようがありません、帰りが遅くなるとお師匠 さまに叱られますから、いそいで帰りましょうよ」

弁長「マア西念(さいねん)、おまえのようにそういそがんでもいいというに、わしはひどく大儀(たいぎ)になったによってこの土手でしばらく休んでいく、毎日毎日こうして、師匠の言いつけで本堂建立(こんりゅう)のためおまえと二人で勧化(かんげ)して歩くが、布施物がかようにたくさんあるで、イヤもう重うてならん」

西「困るなァ弁長さん、おまえさんそんなに酔って帰るとお師匠さまに叱られますよ、五戒(ごかい)をやぶっては困るじゃァありませんか」

弁「ハハハハハ、ナニわしが五戒をやぶった」

西「やぶったじゃァありませんか、おまえさんは飲酒戒をやぶってます」

弁「イヤおまえは年がいかんによって、そのようなこといいなさるが、師匠からして五戒をやぶっているではないか」

西「なんでお師匠さまが五戒をやぶりました」

弁「サア師匠がなんと説教して聞かせなさる、この世で悪いことしたら未来は 地獄へ落ちて呵責(かしゃく)の苦しみを受けると、このようにいうてなはるやろが師匠さん地獄へ行って見てきたことがあるか、極楽見物をしたことがあるか、ありゃせまい、ソレ見たこともないことをいう、これ五戒の中の 妄語戒(もうごかい)や、ナァ師匠からして五戒をやぶってるでないか、酒 飲んでいい気持ちになっているうちにこれが真(しん)の極楽やハハハハハ、 そうじゃないか西念……、アッ誰じゃ、わしの頭をたたくは、……ヤァおど ろいた、ちっとも知らんでいたが、うしろに馬がつないである、馬めがわしの坊主頭をしっぽでもってたたきくさる、アーおどろいた、この馬のように重い物のせて歩かせられ、休む時にもつながれている、これがまず地獄の苦しみ、やァ……、いいことがあるぞ、西念、おまえも今までこうして重い物しょって地獄の苦しみをしていたが、これから極楽浄土へ導いてしんぜるぞ」

西「なんです弁長さん、極楽浄土へ導くというのは」
弁「その荷物をこっちへ出しなされ」
西「私の荷物をどうなさる」
弁「いいからこっちへ出しなされ、ソレおまえの荷物とわしの荷物と一緒にして、この馬の背中へこういう具合にのせる」
西「アレなんだって弁長さん馬の背中へ荷物をのせちまって」

弁「だまってなさい、エートそれからと……そうだそうだ、おまえの丸絎(まるぐけ…中に綿などをいれて丸く仕立てた帯)をちょっと解きなさい」
西「これをどうするんで」

弁「こっちへ出しなされ、ソレいいか、こうしてなハハハハ柔順(おとなし)い馬やな、手綱を解いておまえの丸絎を手綱のかわりに結びつけて、サアこれを曳(ひ)いて、おまえ先に寺へ帰んなされ、わしは少し酔いをさましてあとからすぐに帰るによって、一足先へ行きなさい」

西「だってこの馬を曳いていっちまったら、馬の持ち主が困るじゃァありませんか」

弁「いいというに、わしがあとはいいように計らうによって、心配せんで先へ行きなされ、二人とも帰りが遅くなったら師匠によけい心配かけねばならん、おまえだけ先へ帰れば師匠も安心しなさる、もし師匠がわしのことを尋ねたら弁長はあとに残って説教をいたしておりますと、こういえば師匠も心配せんわ、はよう行きなされよ……、ハハハハ可愛い者やな、兄弟子(あにでし)と思うて、師匠に小言いわれんようにと案じてくれるはかたじけない、しかしこのように酔ってしもうてこれで寺へもどったら、師匠がまたなんのかの とうるさいことを言うやろうからな、ここでちょっと一眠りして酔いをさまして行こうか……アアいい心持ちじゃな、イヤこれはマア心づかんであったが、この堤の下は流れやな、わしは寝相が悪いさかい、これから転がり落ちて川へおっこったらどもならん、アアうまいことがある、この榎(えのき)に結びつけてある今の馬の手綱、わしの胴中へくくりつけて、そうして寝ていたら川へおちる気づかいない、ドレ一眠りやってこうか」

 膝を枕にゴロリ転がる、一杯機嫌で高いびき、日は西山にかたむきまして、疎朶(そだ)を背負うた百姓、菅笠(すげがさ)をかぶって杖をつっぱりながらやってまいりまして、

「ヤアえらく遅うなったから、黒の畜生さぞマア待ちくたびれてるだろうのう、イヤドッコイショ、黒や、今もどってきたぞよ、さぞマア待遠だったろうのう、これからわれの背中借りてこの疎朶を積んでもどるだ……アレ榎へつないでおいた黒がいなくなったかわりに、坊さまがつながって寝ているだ、どうした、これや、モシ坊さま、せっかくハア寝ているところを気の毒だけれども、ここにつないでおいた黒馬、おめえさま知んねえかね、オイ坊さま、チョックラ起きてくんろ……」

 弁長気がついて、眼を開いてみると前に疎朶をしょって菅笠をかぶった男が立っております。しまったこいつ馬の飼い主にちがいない、早く逃げちまえばよかったと思ったが今さらどうすることもできません、ヒョイと見ると笠の裏に次郎作と書いてあるのが目につきましたから、

弁「これは次郎作さま、おもどりでございましたか」
次「アレたまげたね、初めてあった坊さんが、おらの名前を知るわけはねえが、どうしておめえさま知ってるだね」
弁「知っているどころではございません、私は長い間あなたに飼っていただきました黒でございます」
次「なんだって……長(なげ)え間飼ってもらった黒だァ、われどうして坊さまに化けた」
弁「そのご不審はごもっともでございますが、これにはいろいろ訳のあることでございます、じつは私は前の世に弁長という出家でございましたが、身上(みじょう)が悪いのでお釈迦さまのお罰(ばち)をこうむりこの世に黒馬になって生まれてまいったのでございます、ご縁があってあなたさまに長らく飼っておもらい申しまして、難行苦行を積みましたおかげをもってやっとお釈迦さまのお怒りが解け、今日(こんにち)元の出家の身体(からだ)になりましてございます」
次「ハテこれはめずらしい話を聞くものだな、ウーム身上が悪くってお釈迦さまの罰を受けてこの世へ馬に生まれてきて、それが今日元の人間になったちゅうは、めでてえことだのう、そうか、縁あっておまえと長くこうして一緒に稼いできた、それに今日はおらが亡母(おふくろ)の祥月命日(しょうつきめいにち)だ、これから家へ一緒に行って仏さまへ経の一つも上げてもらいてえもんだ」
弁「ハイ、どうぞご一緒にお連れなすってくださいまし」

 弁長もよんどころございませんから、次郎作と話し話しその家へ連れられてまいりました。

次「今帰ったぞ」
娘「とっさま戻んなすったかね、おっかさんよ、とっさま戻ったよ」
女房「アレとっさま、なんだってマァ自分で疎朶しょってきただね、黒の背中へ積んで来なすったらよかろうに」
次「それがよ、ふしぎな話もあるだ、マァおいね、われもここへ来いよ、……弁長さんなんだっておまえ門口に立ってるだ、初めて来た家じゃァあるめえ、──長(なげ)え間一緒にいて知んねえものでねえ、みんななじみの者だ、こっちへ入んなせえな」
娘「おっかさんよ、とっさまァなんだかようすおかしいがね、門口へなんだか見なれねえ坊さまァ連れてきて、長え間一緒にいてみんな知ってる顔だなんて、変なこといってるが、ことによったらきつねにでもだまされてきやしねえかね」
次「コレおいねよ、なにぼんやり立って見ているだ、待て待て今おらが草鞋(わらじ)脱いで上へあがってゆっくり話しするから……、さて二人ともにおらがいうことよく聞けよ、ここにいるこの坊さんはな、これはハア今朝まで家にいた黒だぞ」
娘「ソレみなさいおっかさん、とっさまはきつねにつままれたにちげえねえ、アノ坊さま馬だってよ」
次「ハハハハ、われがそう思うは無理はねえが、じつはここにいる坊さまァ、前の世にやっぱりご出家だった、それからおまえ身上が悪くってよ、お釈迦さまの罰を受けてこの世に馬に生まれてきて、縁あって家に長え間飼っておいた、それがやっと今元の坊さまになっただ、なんとめずらしい話でねえか」
娘「アアそうかね、どうりでアノ坊さま、色黒くって、長え面(つら)だ、これから始まっただね馬づらなんてえのは」
次「ハハハハそんな悪口はいわねえもんだ、サア弁長さんさっきいった通りだ、どうか一つ仏さまへお経を上げてやってくだせえ」
弁「ヘエかしこまりましてございます」

 弁長、仏壇に向かってしきりに経文を唱えておりますうちに、斎(とき)の支度ができまして、

次「サァなにもねえけれども志だ、飯(まま)食べておくんなせえ」
弁「ありがとう存じます、ご馳走さまになります」
次「わしはここで相変わらずなにより楽しみの酒を一口飲むから、おめえさまそこで飯食べなせえ、おいねよ、われここへ来て坊さまにお給仕してあげろよ、おらは手酌(てじゃく)で始めるから」

 うまそうに次郎作がチビリチビリ飲んでおりますのを見て弁長、どだい酒好き、目の前で飲まれてたまりません、咽喉(のど)をグビグビさして、

弁「モシ次郎作さん、あなたにご無心がございます」
次「ハアなんだね」
弁「他ではございませんが、私は久しいあいだ馬になっておりまして酒というものの味をスッカリ忘れてしまいましたが、どうでございましょう、一口いただくわけにはなりませんかな」
次「ナニ酒を飲むというのか、ソレよくなかんべえ、ご出家が酒を飲んだらまたお釈迦さまの罰が当たるだろう」
弁「イエお釈迦さまが今日だけは酒を許す、そのかわり明日からは決して飲んではならないとおっしゃいました」
次「ハアそうかそうか、それじゃァお釈迦さまが今日一日だけは飲んでもいいといったか、それではたくさん飲んで明日からきっと慎まなけりゃァならねえよ、おいね、酒なかったら取って来うよ、サア弁長さん飲みなさい」

 弁長、下地のあるところへ、またじゅうぶんに飲みましたからベロベロに酔っぱらってしまい、

弁「アアこれはいい心持ちになりましたな、どうもしばらく酒の味を忘れていたところを飲みましたので、なんともいえん心持ちになりました、ハハハハどうだいおいねさん、あなたここへきて酌をしてくださらんかナァ、酒は燗(かん)、肴は気取り、酌は髱(たぼ)というてな、どうも女子の酌でないと酒はうまく飲めん、あんた一つ酌をしてくれんか」
娘「お酌なんぞしないでも、自分で飲んだらよかろう」
次「コレなにをするだ弁長さん、おまえダメだぜ、女子(おなご)の手を引っぱったりなんかして、そんなことするからお釈迦さまの罰受けるだ、また馬になるぞ」

 どなりつけられてさすがに面目(めんぼく)なく、弁長は酔っぱらったふりをしてそこへぶったおれて寝てしまいました、風邪でもひかしてはならないと、布団をかけてやったりなにかしてソッと寝かしておくうちに、弁長目を覚ましてみると夜が明けております、肝をつぶして挨拶もソコソコ逃げ出してしまい、寺へ帰ってまいりまして、

弁「ハイお師匠さまただ今戻りましてございます」
住持「ヤア弁長か昨夜(ゆうべ)戻らんから、えろう心配していた、では夜ふけまで説教してきなされたか、それはご苦労じゃった、時に西念が曳いてきた馬じゃがな、あれはどういう訳の馬じゃか、おまえが戻ったら話聞こうと思っていた」
弁「ハイお師匠さま、あれはな、こういう訳でございました、二人がお布施をたくさんもらいまして、重い物しょって歩くのがかわいそうやから、この馬に積んで行ったがよいといってもらってきたのでございます」
住「それはご奇特(きとく)のことじゃ、しかしおまえ方二人の丹誠(たんせい)で、本堂建立の勧化(かんげ)も充分にいったが、アノ馬を飼うとなると飼い葉その他も費(かか)るによって、おまえご苦労じゃが、アノ馬を市へ持って行って金に換えてきておくれんか、その金を本堂建立のうちへ加えたら施主の志も届くやろうと思う」

 住持の言いつけで否(いや)ともいえません。

弁「かしこまってございます」

 と、馬を曳いて市へ出かけてきて、いくらかに売って帰りました、こっちは百姓の次郎作、永年飼っておいた馬がいなくなって、不自由でたまりませんから、かわりの馬を買おうというので市へやってきてみると、昨日まで飼っておりました黒がそこに売り物に出ております。

次「ハテナおかしいことがあるものだ、おらがところの黒によく似ている馬だが……アア黒にちげえねえ、左のほうの耳に白い差毛(さしげ)がある、これがたしかな証拠だ、黒だ、弁長さんだ、オイ弁長さん、おまえマアせっかく人間になったに、酒飲んだり女子にからかったりして、またお釈迦さまに罰当てられて馬になったな、アー弁長さん情けねえ姿になんなすったのう」

 と馬の耳に口を寄せて、大きな声を出すと、馬はどう思ったか、首をヒョイヒョイと横に振った。

次「ハハハハダメだよ、いくらとぼけても、左の耳の差毛で知ってるだよ」


解説 これは落語としては珍しいものである。親が牛に生まれ変わったとか、自分の前身が黒だったと偽る趣向は馬琴の作などによくある手だから、たいして珍しいともいえないが今はやりてがない。先代の、二代目燕枝が時折やっていた。サゲはぶッつけ落。「後生うなぎ」のサゲは間抜け落ち。

2017年8月28日月曜日

シシリア人の話: カザルマッジョーレの修道士 ロングフェロー 作

Tales of a Wayside Inn 1863
シシリア人の話: カザルマッジョーレの修道士 
ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー 作

1.
 もう何世紀も昔の事だが、真夏の太陽が照りつける中、二人のフランシスコ修道会士が、クタクタに疲れた重い足取りで寺に帰ろうとしていた。その白亜の壁と塔は残雪のように山腹に輝いていた。
 二人は埃まみれで、イバラに引き裂かれ、背中には清貧の印である物乞い袋を背負い、荷役のラバのように耐え忍んでいた。
2.
 一方の修道士はアンソニーと言い、慎み深く静かな男で、頬は青白く痩せていた。彼は夜行や懺悔や断食や祈りに多くを費やした。彼の体は、内側で真っ赤に燃え盛る木炭に積もった灰のように白かった。 
 彼の一日の多くは、修道士たる者の精神が神の声に耳を傾けその声に従うものであった。
3.
 もう一方はティモシーと言い、大きな図体で粗暴であった。彼は赤ら顔で、巨漢の修道士であった。尻が大きく、肩幅もそれに見合ってガッシリとしていた。それ故しばしば彼は、修道院の恥になるような騒音を薄暗い食堂に轟かせた。
 だが、ミサの教書で人の注目を集めることはまずなかった。というのも彼は読誦による修練を全くしなかったからである。
4.
 さて、二人が森を抜け出ると、喜びと驚きの光景があった。一匹の驢馬が木にしっかりと繋がれ、退屈そうに、大きく澄んだ目を瞬きさせていたのだ。
 驢馬の持ち主は、近所に住む農夫のギルバートであるが、彼は柴を探しに深い森へと分け入り、驢馬が熟考できるようにと日陰に残して行ったのだ。
5.
 ティモシーはその忍耐強い動物を見つけるやいなやこう言った、「神のご加護に感謝します。神は我等のために、この者をお遣わし下された。では、神に造られしこの生きものの背中に、我々の荷を載せることにしよう」
 それを済ますと、彼は慌てることもなく、驢馬の頭と首から端綱を解き、それを自身に装着した。そして驢馬がそうであったように、木にしっかりと繋がれて立った。
6.
 そして快活に笑い声を上げると、アンソニーに向かって叫んだ。
「さあ行くんだ。君の錫杖で驢馬を追い立てるんだ。そして修道院に着いたら、私は疲れと病気で熱が出たので、一晩農夫の所に泊めて貰うことにしたと言ってくれ。そうして、お布施の食料で頭陀袋が重くなったので、それを運ぶのに農夫が驢馬を貸してくれたと言うんだ」
7.
 アンソニーは、ティモシーの悪戯であるのが分かったが、彼がつむじ曲がりの変わり者であるのは知っていたので、敢えて諭そうとはせず、黙って彼の言葉に従った。
 そして、驢馬の尻を錫杖で打ちつけ、丘や林を越え頭陀袋に飼葉も添えて、修道院の門へと追い立てた。哀れなティモシーのことは、彼の運命に委ねることにした。
8.
 ギルバートは、焚き木にする柴を背負って、森から勢いよく出して来て、肝とつぶして立ち止まった。彼が驢馬を繋いで置いた場所に巨漢の修道士が立っていたのだ。
 ギルバートは震えながら立ち尽くし、近づこうとはしなかった。そして、目を見開き、ポカンと口を開け、ハットして十字を斬った。
 彼は迷信深く、これっぽっちも知性を持ち合わせていなかったので、それを地獄から来た悪魔だと思ったのだ。彼は狼狽えて口も聞けずに凝視したまま、背負っていた柴を地面に落とした。
 するとティモシーが言った。「驚くには及ばない。御前がここに繋いでおいた驢馬は、憐れなフランシスコ修道会の修道士であったということだ。しかも端綱に繋がれ慎み深く立っていたので、飢え死にするほど弱っているのだ。私を解き放ち、カザルマッジョーレの修道士ティモシーの哀れな話しを聞いてくれ」
9.
「私は罪深い者なのだ。御前は、私が聖なる頭巾とケープを着ているのが分かるだろ。御前は驢馬を所有していたのではないのだ。御前は、七つの大罪の大食の罪により、姿を変えられたこの私を所有していたのだ。驢馬として鞭打たれ使役され、草を食べるという贖罪以外その罪を逃れる術がなかったのだ」
10.
「私の受けた屈辱を思え。
 私の辿った悲惨な人生、
 私が余儀なくされた、労苦と鞭打ち、
 風の吹き抜ける納屋での惨め寝起き
 渋々与えられる僅かばかりの食べ物
 湿ってカビ臭い藁の寝床、これらがどんなものだったかを考えてみよ。
 私は、自分の罪の贖罪のためこれを成し遂げたのだ。
 そして、人として修道士としての人生が再び始まったのだ」
11.
 人の善いギルバートは、これらの話を聞いて、良心の呵責に苛まれ、修道士の前に崩れ落ち跪いた。そして、寛大な慈悲をお恵み下さいと懇願した。
 心正しい修道士は、今はすっかり心安らかになり、満面の笑みを湛えて彼の罪を赦した。そして時間も遅くなり、彼には休息が必要だったので、その夜、農夫の客となることを断ることもできなかった。
12.
 オリーブの茂った丘に、白亜の壁に模様の描かれたコテージが建っていた。近くの蜂の巣からは、遠くから聞える滝音のような、羽音が響いていた。
 隠遁生活を愛する人が、騒音や喧騒から離れ、満ち足りて暮らしている場所であった。それは、収穫物を目安にゆっくりと移り行く一年をはかる、クラウディア作の「The Old Man of Verona」のようであった。
13.
 コテージへとやってくると、彼の子供たち、そして肉付きのよい女将さんのシシリー夫人がおり、そして長年の畑仕事で腰の曲がった父親が長椅子に座って、ミラノとフランスの古い戦争での出来事を取り留めもなく繰り返し語っていた。
 家族の者皆、フランシスコ修道士を、敬虔な尊敬と畏敬の念をもって迎え入れた。
14.
 ギルバートは何が起こったのかを皆に話した。どんな疑問も、疑いも、推測も挟むこともなく、この心正しいブラザー・ティモシーは、自分たちが飼っていた驢馬であったのだと言ったのだ。
 彼等の瞳の驚きの色が見えるだろうか?
 彼等が「おお! 神よ!」と叫び声を上るのが聞こえただろうか?
 彼等の悲嘆と困惑がどれほどのものであったか!
詰まる所、全員その話を信じ、そしてこの苦しめられた男の中に、聖者を見たのだ。
15.
 長きに渡る厳格な断食が明け、すぐさま、修道士の欲求を満たすため、ありったけの食事が用意された。
 女将さんは台所の竈の火を勇んでかき回し、自身の願いとして、庭で飼っている最上で最後の二羽の鶏がつぶさた。
 サラダボールにはサラダが、そして、すべてに報いるために、高級なフランスワインが供された。
16.
 ブラザー・ティモシーがどんなに空腹に見えたか、何度言っても信じられないだろう。
 彼の食べる姿を見るほど愉快なものはなかった。
彼の赤い髭から白い歯がこぼれ、ワインと肉で、彼の顔は紅潮していた。
 彼は邪な目を、キョロキョロさせ、嘲笑し、色目を送ったのだ!
主よ! 彼は、ビンテージワインに神が宿っているとでもいうように、赤い血のようなフランスワインを飲んだのだ。
 彼はのべつ幕なし浮かれ話を話し続け、終わることを知らず、それどころかいよいよ増長して、常軌を逸したかのような、大きな笑い声を上げ、そして、羊毛のように生えている赤髭を揺すった。
 そして、シシリー婦人に色目を送った。
 とうとうギルバートは、お客に腹を立て、怒を表した。
17.
「正しき神父様」彼は言った「私たちは、禁欲というものが、どれほど必要であるかを容易に知ることができます。長い贖罪の後に、あなたは今夜罪を赦されました。しかしあなたは、誘惑に抗する力が弱いということを、明らかに示しました。そしてそれは、あなたが再び大罪に身を沈め、怖ろしい危険に陥ることを示しているのです」
18.
「明日の朝、太陽が昇ったら、修道院にお帰りなさい。さもないと、断食や神罰から逃れられません。あなたは、肉を食い馬鹿騒ぎをして、再び驢馬になるという大きな危険に突き進んでいるのです。神罰を望むならいざしらず、さもないと、あなたの皮膚は鞭でそがれることになるでしょう」
19.
 修道士はこれを聞いて、色を失い、稲妻に打たれたように我に返った。そして、爪先から頭まで赤くなり、赤毛の頭の青白く禿た部分まで真っ赤に染まった。
 老人は椅子で眠っていた。全員退席すると深く沈みこみ、どうしようもなくただただ眠った。
20.
 彼等は夜が明ける間際まで眠った・・・オンドリが鳴き声を上げるその時まで。しかしオンドリは鳴かなかった。ご存知の通り、彼等はピンピカのオンドリを殺して、昨晩食べてしまったのだ。
 修道士は、早起きして上機嫌だった。そして朝食を食べると、朝の祈祷の鐘が遠くから聞こえてきたかのように、急いで出立した。別れの挨拶はしたかどうか分からないくらいだった。
21.
 牝牛の息のように、清々しい朝であった。ハーブの香と松の木が蒸散させる甘いバルサミコのような香が混じり合っていた。朝靄がこれから暑い日になることを予言していた。
 アペニン山の上に太陽が昇り、その谷間に広がる霧は、鳥たちの歌声、人の声、鐘の音、牛の鳴き声などで満ち満ちていた。
22.
 ブラザー・ティモシーにとって、全ての事柄は無意味なものでしかなかった。彼は景色を愛でることを知らない、そしてこの景色も例外ではない。彼のめくるめく雑念は、ここでも、望みのものを見つけなかった。
 しかし、修道院の壁が視界に現れ、厨房の煙突から煙が立ち上り渦をまいて空気中に昇って行くのを見つけて、歩みを速めた。獣のように、少なくとも3マイル離れた厩舎の臭いを嗅ぎつけたのだ。
23.
 修道院の門を入ると、彼はそこで、例の驢馬を認めた。驢馬は耳をくるくり回して立っていた。それは、あの森で見つけた時と同じように、そこに置いておかれているように思えた。

 彼は修道院長に、この驢馬は、修道士たちの日々の仕事を軽減するために、金持ちで倹約家の男が、お布施として修道院に贈ったものであるということを伝えた。
24.
 そこで修道院長は何日もの間、この重大問題を熟考した。彼は多方面から何度も検討し、憂いのない結論が導きだせるものと期待したのだが、口さのない世間のことを畏れて思い留まった。
 もしこの手のお布施を受けたとしたら、「怠け者の修道士たちは、お布施袋を自分で担がずに、驢馬に運ばせているよ。」と言われることだろう。
 この手の中傷を避け、世間の口に上らぬようにするために、この面倒な問題は取りやめにして、手早くこの驢馬を売って出費を抑え、いざという時のためのたくわえにすることにした。
 こうして修道院長は驢馬を隣町の市場にやって、この厄介事から自由になった。
25.
 ある人が言ったように、偶然の出来事というものは、他の人からは運命と呼ばれるものとなる。 ギルバートが、その市にやって来たのだ。そして驢馬の鳴き声を耳にした。彼はそこへ近づいて行って、そして彼はそれを見た。
 彼は驢馬の耳元で囁いた。「ああ、なんということだ。神父様、私には分かるよ。暴食のせいで、再び驢馬にされてしまったんだね。私の忠告は皆無駄だったんだね。」
26.
 驢馬は、耳に息を感じて、振り返ることが出来ずに頭を振った。それはあたかも、農夫の話が面白くないという風だった。これを見てギルバートはもっと大声ではっきりと言った。
「私はあなたの事をよく知ってるんだよ。しらばくれて駄目だよ。あなたの髪は赤毛で、フランシスコ会の修道士で、名前はティモシーって言うんだよ」
27.
 驢馬は、秘密を暴かれたにもかかわらず、頑なで、再び頭を振った。そうこうしてると、二人の会話を聞きつけて大勢集まって来た。そしてギルバートが、真相を明らかにしようとすると、彼等は大声で囃し立てた。そして一日中、嘲笑と囃子歌で彼を愚弄し続けた。
「この驢馬が、修道士のティモシーと言うなら」彼等は叫んだ。「買って、やわらかい草でも食わせてやればいい。二度も驢馬に変えられたんだから、こいつのために、どれだけのことをしたってし過ぎるということはないだろうからな」
 こう言われて、人の善いギルバートは彼を買うと、端綱を解いて、[慎みと心の安寧に向かうことについて語りながら]、山や沼地を越へ家へと案内した。
28.
 子供たちは彼等がやってくるのを見ると、迎え出て喜びの余り大声を上げ、彼の首にぶら下がった。・・・それはギルバートの首ではなく驢馬の首だった。・・・そして彼の周りを踊り回った。
 それから神の聖なる人を飾るために、緑の草で冠を編んだ。子供の感覚では、手綱や認証札が無ければ、灰色の修道服の修道士と驢馬とを区別するのは全く不可能だった。
29.
「ティモシーさんよ」子供たちが言った。「以前と同じ姿になって、戻ってきてくれたんだね。僕達は、あなたが死んだんじゃないと思ってね、それでもう二度と会えないんじゃないかと心配だったんだよ」
 こう言うと、子供たちは彼の額の白い星にキスをした。それは、生まれつきの痣のようでもあり、徽章を帯ているよでもあった。そして、首や顔をなで、無邪気にたくさんのことを話した。
30.
 それ以来彼は、「ティモシーさん」として知られ、常に贅沢な暮らしをさせてもらった。それは、彼が穀物や藁をたらふく食べて恩知らずとなり、手がつけられなくなるまで続いた。
 ある日の事、哀れなギルバートは、自身を責めるように苦々しくこう言った。
「善良な親切が誤解された時は、少し鞭をくれてやるのがよいということだ」
31.
 ここで、彼の悪徳の多くを語る必要はない。ただ、幼子や老人に対しても後ろ脚を振り上げる習慣があった。
 また彼は端綱を壊して、狂ったよう走り出し、牧草地を越え野原を越え森を越えを草原を越えて逃げて行った。こんな悪さは朝飯前だった。一番ひどかったのは、夜中に小屋を逃げ出し、キャベツの苗床をめちゃくちゃにした事だった。
32.
 こうして、ティモシーさんは再び労働と苦痛の昔の生活に戻った。そして以前よりもひどく鞭打たれることとなった。
 安穏と抱擁の代わりに、雑多の仕事と痛みを伴う苦悩がやって来た。彼の苦役が増えるにつれて、食物は減って行った。遂には、彼の多くの苦しみを終わらせる死が最大の慰めとなった。
33.
 彼の死は大きな悲しみとなった。彼は悔い改めることをほとんどしなかったのだ。シシリー夫人は悲嘆に暮れ、子供たちは泣き悲しんだ。老人は未だにフランス戦争の出来事を覚えていた。そしてギルバートは、ここへやって来てそして行ってしまった彼の多くの美徳を賛美してこう言った。
「神様、どうかティモシーさんをお赦し下さい。そして、大食の罪から私たちを遠ざけて下さいますように」

 (日本語訳 Keigo Hayami)

2017年8月27日日曜日

禅学講話  第八章 理想と実行との帰一----修證不二論 忽滑谷快天 述

禅学講話 忽滑谷快天 述
井冽堂 明治39.6 1906.6

第八章 理想と実行との帰一----修證不二論

修とは修行とか修養とか申すこと、證とは修行の結果として得たる大悟とか證得とか申すことである。即ち修因證果と熟字して、修は平生吾人の工夫練磨を積むこと、證は吾人の工夫練磨の効によりて明確に道理を明らめ精神の安住を得るのであります。譬へば修行は学生が学校にて毎日学問する如きもの、證得は学校を卒業する如きものである。また譬へば修行は食物を咀嚼するが如く、證得は食物が身体を養ふが如くである。然るに禅門に所謂、修證は修の始めなく證の終りなしと申して證得をし安心をしたから、それにて修養は終りになるといふのではない。譫へば小学校を卒業したから、それにて学問は終つたとはいはれぬ、更に中学に進み、高等学校に入り、大学に進み入りて研究し、大学を卒業しても、それにて学問が卒つたのではない、更に終身桔据勉励して益々学問の堂与に入るやうなものである。されば学問には無限の進趣がある。これと同時に小学の卒業も、中学の卒業も、高等学校及び大学の卒業も一段一段の證得であり安心である。否、毎日毎日一事を学べは一事を得るのであるから、修業あり證得がある。されば学ぶのが其儘其所得なので、修行と證得とは別にあるではない。今日今日の勤めが修行なり證得なりである。前の譬喩にて言へば食物を咀嚼する間に食物は体内に吸収せられ、吸収せられたる食物は身体となりて更に食物を消化するが如くであります。これを修證不二といふのである。
さすれば人間の一生は大なる石造の高楼を築きつゝある如くで、毎日毎日一個若しく数個の石を積み上げて行く、然れば吾人が築きつゝある家は如何なる法則に従ふて築かねばならぬか、また如何なる目的に使用するやうに作らねばならぬか、これ大なる疑問である。思ふに世界幾億の人類は皆それ/゛\力を尽くして此大廈の建築に従事して居るのであるが、さればとて実際に建築の目的を意識して努力して居る人は少いのである。大凡生物の進歩発達に三段の階級があるやうに思はるゝ。第一は無意識的時代、第二は意識的時代、第三は目的を意識する時代である。
土瓦石芥の類より草木及び下等なる動物にありては全く眠れるが如く無意識の状態にありて、自個の存在を殆んど知らずに居る。之に反して高等の動物は意識を発動して自己の存在を知り、単に機械的、反射的に活動するのみでなく、意志の働きによりて自ら思ふ如く活動しつゝあるを見る。然れども彼等は単に生活せんが為めに生活するのみで何等かの目的ありて生活するを知らぬのである。人間にありても単に自身の生活の為め、子孫の生活の為めに努力して日もまた足らず、生活の為めに生活して毫も何等の目的ありて生活するとは知らざる人がある。それより更に一段の進歩をすれば人間生活の目的を意識して生活するやうになる。これが生物進歩の三段階であります。
次に人間にも同様なる三階段の進歩発達がある。即ち人間が母の体内にて細胞である頃より漸次に発達成長して体外に生れ出で、嬰孩にして褓襁にある間は夢の如く眠れる如く一向に無意識的である。然れども次第に成長するに従て自身を認識して他人との区別を知り、自己の意志に任せて活動せんとするやうになる、これ一段の進歩であります。然れども此意識的生活の時期を通過して目的を認知し、其目的に合するやうに生活するものは少いのである。
譬へば河の水が自然に低き方へ低き方へと流れて東西に曲折するけれども遂には必ず大海に注ぐ如く、生物も生存競争をしつゝ幾百万年の長日月を通じて進歩したる結果或一定の目的に向つて進みつゝあるが、河水が其流るゝ目的を知らざるが如くに生物も其目的を理解せざるものが多いのである。而して生物は如何に生活すべきか、如何に生物の生活しべき舞台は作られてあるか、如何にして活動は可能であるかといふ問題を吾人に教へるものは百科の学問でありまして、如何なる目的を以て生活し、如何なる活動をしたならば其目的に添ふであらうかといふ問題を吾人に示すのが哲学や宗教であります。
然り而して我仏教に説く所は人生の目的は智徳の向上にあると申すので、前回の講義に詳述したる悲智の二つであります。人生の目的が智徳の向上にあるといふは決して空論や、空想を逞うした次第ではないので、地球発達の歴史に徴して明かなる事実である。何となれば我地球が幾十億万年の長い春秋を閲して漸く原始生物の生活に適する状態となりてより今日人間全盛の時期に至るまで、生物進化の段階は一歩一歩、智徳の二つに於て進歩をなし、人間の出現してより今日の文明に至る迄大約二十五万年の歴史も等しく智徳向上の歴史に外ならぬのである。さすれば吾人の将来も亦智徳の向上を一貫の主義とせねばならぬ。これを今日流行の語にて申せば智徳の向上を理想として毎日毎日之が実現に努力するのである。而して一の理想を実現すれば、また其上の理想を形成して之を実現し、当該理想を実現すれば更に其上の理想を形成して愈々益々無限に進歩し無限に向上するを努めるのである。この理想を実現せんとするの努力は即ち修行で、理想を実現したのは證得である。故に修の始めなく證の終りなしで、限りなく智徳の向上を期するのであります。

是に於て乎、四弘誓願にも、
    衆生無邊誓願度   煩脳無盡誓願断
    法門無量誓願學   佛道無上誓願成
とありまして、衆生は無辺無数に多いけれども誓ふて済度したい、煩悩の迷執は尽くることなく沢山あれども誓ふて断じ尽したい、教法は量りなく多くあれども誓ふて学び畢りたい、仏道は無上甚深であるけれども誓ふて成就したいと願ふのであります。此四句を要約すれば第二句の煩悩無尽誓願断と第三句の法門無量誓願学とは正智を得んとする希望で、第一句の衆生無辺誓願度と第四句の仏道無上誓願成は慈悲を行はんとする希望である。
されば此四大願とは智徳と円満にせんとの大希望に外ならぬ。
かくして毎日毎日の修行が最も肝要なる努めであるから、修證義にも
 我等が行持に依りて諸仏の行持見成し、諸仏の大道通達するなり、然あ
 れば則ち一日の行持是れ諸仏の種子なり、諸仏の行持なり
と示されまして一日一時一刹那の修行も非常に大切なる安心解脱の素地であり、仏祖の行持である。故に禅の宗旨は一も奇特玄妙といふて不可思議なる出来事や、俗耳を悦ばすやうな一種奇妙なることを教へるのではない。
昔し黄蘗希運禅師が天台山に遊びました時、一人の雲水僧が同伴となりましたが、妙に其雲水の眼が輝いて居る。暫くして二人共に大なる谷川の辺に来りました、然るにこの谷川は水勢急にして水は溢るゝばかりに流れて居る。且つ渡るべき橋もないから黄蘗も暫時踟蹰しつゝあると、件の雲水はいざ渡りませうとて裳をかかげて水上を行くこと陸地を踏むが如く、中流より後ろを顧みて早く渡り給へと黄蘗にいへば、黄蘗は大いに憤りまして、おのれ、羅漢なりと知らば早く汝が脚を打ち折りてくれんものをと申しました。是に於て羅漢は黄蘗を賛歎して真に是れ大乗の法器なり、我及ぶ所にあらずといふて何処ともなく消え失せたといふ話しがある。這は謂ふ迄もなく歴史的事実として見られぬ話しであるが、禅の要は神通変幻にあらざることを諷したものであります。
然るに兎角宗教といへば何か一種超絶的な、不可思議変幻のことがなくては物足らぬやうに思ふのが幼穉なる人の常である。這は小児野蛮人に於て見る所の現象で、小児が変幻の事を好み、奇妙なる話しをすると耳を欹て聴きますが、野蛮人及び無智なる人士は兎角此弊を免れぬ。ロングフェローが詩中に滑稽な話しがある。
或る山寺にアンチンとチモシイといふ二人の雲水僧がありまして夏日行乞に出て多く麦や米を貰ふて背に負ふて寺へ帰る途中、荷物は重し汗は流れる非常に困難したるが、アンチンは元来お心よしの僧で少しも悪意はない人物であるから正直に荷を負ふて先きへ行く、チモシイは道楽坊主で酒も飲み賭博もする魚も食ふ、オマケに全身豚のやうに肥えた大入道でありまして後から荷物を負ふて苦しげに歩みつゝ、何か善い方便を回らして此重荷を寺へ送らうと思案して参りました。良々久しくして二人は一の林の所に来ると一頭の驢馬が木に繋いである、チモシイはこれ幸と荷物をおろして驢馬に載せ、アンチンの荷物もおろさせて之を積み、此馬を寺へひいて行くやうにとアンチンに申しますから、アンチンは何の分別もなく、驢馬をひいて寺へ還りました。然るにチモシイは驢馬の手綱を解きて己が首に纏ひ一方の端を樹に繋いで其蔭で午睡(ひるね)して居りました。すると驢馬の主人たる次郎は山より薪を伐りて出て来て見れば驢馬は何時の間にやら大入道となつて居る。そこで呆然自失、如何(どう)したことかと見てあるに、チモシイはやほら身を起こし、空涙(そらなみだ)を流して申しますには次郎さん私は隣村の山寺に住むチモシイといふ雲水で御座りますが、余り多く魚を食ふたり酒を飲んだりした為めに現身に驢馬と化して、御前(おまへ)の家に買はれて行き、それよりといふものは夏となく冬となく追ひ使はれ草と藁ばかり食ふて苦役をした。
それで漸く罪も滅びて再び元の出家の体に立ちかえつた。どうぞ一旦驢馬となり主人となりて御前さんと主従の縁を結んだものだから、今晩は御前さんの家に泊めてくだされといへば、次郎は気の毒に思ひ、貴僧と知らばあのやうに使ふではなかつたものを、知らぬことゝはいへ、可愛さうに甘いものも食べさせず、定めて辛いことであつたらう。そのかはり今晩は少
し御馳走を致さう程に堪忍してたまはれといふ。チモシイはこゝぞとつけ入り、然らば主人の御心に従ひ今晩は充分酒肴を頂戴致しますとて、二人つれだちて次郎の家に戻りまして次郎は早速其妻や下男に命じて酒肴の用意を十二分に致しチモシイをもてなせば、チモシイは長鯨の百川を吸ふが如くといふ古人の形容の如く、杯を左手に持ち右手に箸をとりて飲みては食ひ食ひては飲み、息をもつかず飲食すれば次郎は大いに心配して其様に飲食して再び驢馬になつてはならぬ、静かに召し上れといふに、チモシイは長の年月草と藁のみ食したれば空腹にて致し方なし、仮令再び驢馬にならうとも飲める丈け飲み食へる丈は食はせ給へとて、熾んに飲食し、酔眼朦朧となりて[治郎]が妻に戯(ざ)れ言さへいへば治郎は一方ならず心痛して、辛くも其夜はチモシイを臥床に睡らせました。翌朝に至りてチモシイは大きに厄介になりしとて治郎の家を立出て悠々と山寺へ帰りまして、方丈に面会し、昨日アンチンのひき来れる驢馬は隣村の治郎が菩提の為めに寄付するとのことで御座ると申上れば、方丈は[其]は殊勝のことなり、されど山寺にて驢馬は不用なれば市に売りて金にせよとて、馬市場に出しました。治郎は驢馬を失ひましたから市場に出て善き馬を買はんと彼処此処を見回すに、チモシイと全く同じなる驢馬のあれば、非常に駭きまして、折角、出家にかへつたばかりに余り多く飲食して再び驢馬になりましたものと思ひ、馬の耳に口を寄せて、チモシイ、御坊は私の言ふことを聞かず余り多く食ふたから又も驢馬になりなされた。併し私が買ふて大切にしてやるから安心しなさいと細語けば、驢馬は耳の中に風の入りたるに心地悪しと思ひけん、ブル/\と耳を振れば、治郎はチモシイ、御坊は知らぬ顔しても、それはいけぬ、私は御前の毛色を善く知り居るとて其驢馬を買ふて帰り、チモシイと名けて一生大切に飼ふて置いたといふ。
這は幼穉なる人民が阿呆らしき迷信を懐けるを笑ふた物語でありますが、今日文明と称する国々にも以上の物語と大差なき迷信は多く行はれつゝある。
我国に於ても兎角小供らしい奇談怪説を好んで宗教に付加し、又病的なる信仰の蔓延するは好ましからざることである。宗教は其様に変幻奇怪なるものではない、真面目のことで、吾人の毎日毎日の勤めが宗教である、毎日の努めが修行である。されば百丈は
  日日是好日
とて一年三百六十五日一日として悪しき日はない、皆仏法修行をなすべき好日であると示され、涅槃経には
 如来の法中には吉日令辰を選択することなし
と示されてある。故に栽松道者は松を植ゑて修行し、六祖大師は米を搗きつゝ御修行なされたのであります。カアライルの語に
 最も高きに達する道途は最も低き所に横はる
とある如く吾人が平生の卑近なる義務の中に高尚幽玄なる道は存在して居るのである。王陽明も
    饑來喫飯倦來眠、  只此修行玄更玄、
    説與世人渾不信、  卻從身外覓神仙

    (饑來レバ飯を喫シ倦ミ來レバ眠ル、只此修行玄更ニ玄ナリ、
    與スレバ世人ニ説渾ヲ信不、却テ身外ニ従テ神仙ヲ求ム)

といふて喫茶喫飯の平生の修行が玄中更に玄なるを知らずして神仙の道を他に求むるを戒めた。基督も
 神の国は顕はれて来るものにあらず、此に見よ彼に見よと人の言ふべき
 ものにあらず、夫れ神の国は爾等の裏にあり
と申して神の国は吾人の裏にあるを示した。また大祖国師は
 茶に逢ふては茶を喫し、飯に逢ふては飯を喫す
といはれて日用喫茶喫飯の外に六づかしい悟りがあるではないと示されました。洵に其通りで茶に逢ふては任運に茶を喫し、飯に逢ふては無分別に飯を喫することができれば最早大安心を得たのである。然るに吾人には容易に茶に逢ふて任運に茶を喫することができず、飯に逢ふて任運に飯を喫することができぬ。茶に遇ふては種々の妄想を起し、飯に遇ふてはさまざまの下劣なる慾望を起して心中常に波瀾を生ずるのである。悟りといふも證果といふも畢竟は一心其物にある。誌公の語に 即心即仏を解せざれば驢に騎りて驢を覔むるに似たりとある。西洋の或精神病患者は身体の感覚を全く失ふたる為め、自己の身体は久しき以前に死して生滅したりと信じた。而して医師が患者の腕を圧す時は患者は駭いて、腕があつたとて喜び、看護婦が其頭を圧せば、我頭があつたとて喜び、鏡を見すれば非常に其頭首の存在を見て打喜び、炭酸浴に入れて全身を刺戟したるに全身が復活したとて喜んだといふ話しがある。即心即仏を解せざる人も亦此精神病患者の如くであります。
要するに禅の要は当意即妙で、柳暗花明、艶桜素梅、物に当り事に感じて其天真の妙を掬するなあり、俳人芭蕉の大悟せしといふ古池真伝なるものは小築庵春湖の上梓したるもの、元より史的事実としては見難からんも、禅の妙味を知るに於て一助たるに足らんと思へば、こゝに引證して読者の為めに指注することゝせん 常州鹿島根本寺仏頂長老、博覧大悟の知識なり、桃青翁旧交の師なりと始めに記してある、芭蕉と仏頂和尚との関係は和尚が江戸深川の臨川寺長慶寺などへ在住の時、芭蕉と玄機を談じたるものゝ由、臨川寺は本は臨川庵とて芭蕉の住庵なるを仏頂和尚が上京する度毎に之に宿して芭蕉と禅を談じたるが、天和年中、芭蕉を開基とし仏頂和尚を開山として臨川寺としたりといふ。芭蕉に鹿島紀行あり、曽良と共に根本寺に至りて仏頂和尚に見えたる時、
    月はやし梢は雨をもちながら
    寺に寐てまこと顔なる月見かな
    雨に寐て竹おきかへる月見かな      曽  良
   をり/\にかはらぬ空の月かけも
    ちゞのながめは雪のまに/\       仏頂和尚
の詠あり、何れにしても芭蕉は仏頂に参して玄機を味ひたるに相違はない。
それより次の文に
 近来江戸深川長慶寺へ移転せられたるに桃青を訪はんとて六祖五兵衛を
 供して芭蕉庵に至る
とある。六祖五兵衛は仏頂和尚の僮僕にて六祖と渾名し、一丁字をも解せざれども仏頂に参して徹底したる奇人にて芭蕉が悟道の友なる由、次に 六祖先づ庵に入りて、如何なるか是れ閑庭草木中の仏法、桃青答て曰く

 葉々大其底者大、小底者小
六祖先づ問ふて如何是閑庭草木中仏法といふた、仏法とは道のことで、つまりは吾人が安住の地であります。されば閑庭草木中の仏法とは寂々寥々たる芭蕉庵の草木の中に居て翁が安住する処は那辺ぞと問ふたのである。
古人が石頭大底者大小底者小といはれた如く、青々たる大小の木の葉の中にも、大石小石の碌々たる中にも真如の俤は見え、安心の地はある。昔し唐の代に有名なる学者の李翔が楽山禅師に問ふ、「如何是道」と、仏法といふも道といふも同じであります。楽山此時指を以て天を指し、また水瓶を指していふ、「会すや」、会すやとは理解したかとの意である。李翔云く「不会」、わかりませぬ。楽山便ち、「雲は青天にあり水は瓶にあり」と申されました。
 夫より長老内に[入]り、近日何の有る所ぞ。桃青答へて曰く、雨過洗青苔(雨過テ青苔ヲ洗フ)
それより仏頂長老が庵に入りまして問ふ、近日何の有る処ぞ、近頃は何か変つたことでもあるか、平生安住の地は如何と一拶せられた。芭蕉は何処までも目前の境を以て答へ、昨夜の雨が庭中の塵を洗ひ去りて青苔も一層の青さを増して閑雅の趣を添へましたと答えた。此頃は芭蕉も余程修養を積んで造詣する所が深くあつたに相違ない。
 又問ふ如何なるか是青苔未生以前の仏法とある時、池辺の蛙、一躍して
 水底に入る音に応じて、蛙飛込む水の音と答ふ
仏頂和尚は再問して、雨過洗青苔といふ目前閑雅の境になりきつた所はよいが、更に青苔未だ生せず、草木国土も未だ生せざる所、如何に安住の地を求めんかと深刻なる問ひである。大概の人は此問ひには答へられぬのであるが、流石は蕉翁、蛙の水に飛込むを其儘に何の造作もなく、蛙飛込む水の音と例の俳諧句調にて、すら/\と答へたるは実地に踏着したる漢である。
 仏頂長老、珍重珍重と唱へて持玉ふ所の如意を桃青に授与す
仏頂も是に於て賛歎しまして珍重珍重といはれ、蕉翁の悟道の證として如意を授けられた。如意とは笏に類したる法器であります。
 長老席上に紙毫をとりて、本分無相、我是什歴物、若不会、為汝等諸人
 下一句子、看看、一心法界、法界一心、と書して諸風子に示し給へば、
 其時始めて法界と一心の水音に耳ひらけて、実に桃青翁の省悟を各ゝ随喜
 しけるとなり
 (本分ハ無相なり、我ハ是なに物ゾ、若シ会セ不レバ、汝等諸人の為メニ、
  一句子を下サン、看ヨ看ヨ、一心法界、法界一心)
因みに仏頂長老其席上にて筆をとり紙を伸べて記したる文句に、本分無相、我是什歴物とある、本分とは前に謂ふ所の道とか、仏法とかあるのと同じで、道といひ、心理といふ元来一定の相状のあるものではない、我といふも畢竟は何物であるか、若し会せされば、若し了解ができぬならば、汝等諸人の為めに一句を下して見せやう。見よ、一心法界、法界一心で、法界といふも宇宙といふも同じである、宇宙は即ち一心、一心は即ち宇宙、と記された。そこで芭蕉の門弟衆も師翁のいふたる蛙飛込む水の音の一句に一心法界の旨を道破せられたるを知り各ゝ其省悟を喜びました。
 このとき杉風謹で桃青翁を賀して、我師風雅に参禅の功を積で、今に水
 音大悟の一句に仏頂長老證明付法の如意を授け給へば、今は天下に宗匠
 たるばしとて賀儀をのぶ
杉風は芭蕉の弟子であります、時に杉風の申すには我師蕉翁は風雅を弄ぶ中に参禅して今は水音の一句に仏頂長老の印可もあれば、これより天下の宗匠たるべしとて喜び祝ひましたのである。
 嵐雪が云ふ、水音に俳骨こと/゛\く連続すといへども、未だ冠の五字を
 きかず、師是を定めたまへ。翁のいふ、我もこの点を思へり、しばらく
 諸子の高論を聞て、而後に定めんと欲す、ニ三子試にこの冠五をいへ、
 きかん
時に嵐雪の云ふには水音の一句は俳諧の下の句にて完全に出来たれども未だ冠の五字が不足して居る。願くは師翁之を定め給へといふた。依て芭蕉は諸子の高論を聞て後に自ら定めんとて、先づニ三子の技倆を試みんとしたのである。
 各ゝ首をかたぶけて練思す。やゝあつて、杉風、「宵闇や」の五文字を出す。
 嵐雪は「淋しさに」と伺ふ、其角ひとり「山吹や」と色即是空々即是色の曲をつ
 くして其姿を調へんとす。翁つく/゛\と見て云ふ、吾子等が冠五各ゝ一理
 を含んで平生の句にまされりといふべし。就中其角が「山吹の」はなやかさ、
 ちから有て好し。さりながら、かゝる七五の冠たてんは観相見様の理を
 離れて、只此庭のこのまゝに、我は「古池や」とおき侍らんとあるに各ゝあつ
 と感じ入る。
各ゝ首を傾けて考へたるが
    宵闇や蛙飛込む水の音    杉 風
    淋しさに蛙飛込む水の音   嵐 雪
    山吹や蛙飛込む水の音    其 角
とつけたるに、蕉翁はニ三子の句を讃め、殊に其角の「山吹や」の一句、花やかにして力ありといひたるが、我は只此庭の儘をとて、古池や蛙飛込む水の音と定めたれば一同アツとばかり感じ入つたとのことであります。
 古池や蛙飛び込む水の音、妙なるかな。爰に俳諧の眼ひらけて天地を動
 かし、鬼神を感ぜしめぬべし。是こそ敷島の道ともいふべく、仏をつく
 る功徳にもたくらぶべけれ。人丸の陀羅尼、西行の讃仏来も、わづかに
 一七字の中にこめて向上の一路に遊び、真如法性の光をはなたれて遠く
 天下の俗誹を破る。今時の俳人を正風の真路に導かんこと此翁なり、嗚
 呼、天地風雅也、万象風雅也
これは記者の文にて蛇足の嫌ひがあります。何は兎もあれ芭蕉正風の俳諧には天地を洗ひ清むるの力があるやうに思はるゝ。天目中峰和尚の句に
    印破虚空千丈月、洗清天地一林霜
    (破ス虚空ヲ印千丈ノ月、清ス天地洗一林の霜)
とあるが、此間の消息は禅者が胸中の風月である。

    箔ぬりの仏も人の案山子哉    環 渓
    世の中は三分五厘梅の花     物 外
      

注:
桔据勉励: 底本 桔の字は「手偏に吉」
大廈(たいか): 大きな建物。立派な建物
嬰孩(えいがい):赤ん坊
褓襁(おしめ):おしめ
黄蘗希運(おうばくきうん):中国唐代の禅僧
踟蹰(ちちゅう): 躊躇すること
幼穉(ようち)
現身(げんしん):仏教用語・現世の姿
一丁字(いっていじ):一文字

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