旧雑譬喩経 (19)象の足跡 康僧會 訳

旧雑譬喩経 康僧會 訳
(19)象の足跡
 昔、師の元で道を学ぶ二人の者がいた。二人は一緒に他国へと旅立った。二人が道を歩いていると、象の足跡があった。
 一方がこれを見て、「この象は母象で、雌の子象を妊娠している。そしてこの象は一方の目が見えない。それからこの象の上には女の子を妊娠した女性が乗っている。」と言った。
 もう一方が言った。「君はどうしてそんなことが分かるんだ?」
 すると相手は、「あれこれと考えを巡らせたので分かったんだよ。僕の言うことが信じられないなら、先を急いで見てみよう。」
 二人一緒に象の所までやって来ると、全て悉く先に言った通りだった。そしてその後には、象も女性も赤ん坊を産んだ。
 一方は自省してこう考えた。「僕たちは一緒に師の元で学んだのに、僕だけ肝心要となるものが見えなかった。」
 その後国に帰ってから彼は師にこう言った。
「私たちは二人して出かけて行きましたが、彼は、象の足跡を見ただけで、いくつかの肝心要となるものを見分けました。しかし私はそれを見分けることができませんでした。お師匠様お願いです。もう一度道をお教え下さい。私の物の見方には、大変な偏りがあるのではないでしょか?」
 そこで師匠は、もう一方を呼んで問い質した。
「どうやって、その事が分かったのかね?」
 彼はこう答えた。
「それは、お師匠様が常日頃説いておられることをしただけです。私は、象の小便の跡を見て、これは雌の象だとわかりました。右足の足跡が地面に深く踏み込まれていたので、雌の子を妊娠しているのも分かりました。道の右側の草が荒れていないのを見て、右目が見えないのを知りました。それから、象が立ち止まった場所に小便の跡があるのを見て、それが女性のものだとわかりました。その右足の足跡も地面に深く踏み込まれていたので、この女性も女の子を妊娠しているのが分かりました。つまり私は事細かに物事を考えるというお師匠様の教えを実践しただけなのです。」
 すると師匠が言った。「学問とは、色々と思い巡らせて考えることである。一生懸命探求すれば答えは出る。しかし深く考えなければ答えは出ない。私の教えが間違えていたわけではないのだよ。」
(日本語訳 Keigo Hayami)

舊雜譬喩經 (No. 0206 康僧會譯 ) in Vol.04
T0206_.04.514a29: ~ T0206_.04.0514b14:
(一九)昔有二人從師學道。倶去到他國。於道
路見象迹。一人言。此母象懷雌子象一目盲
象上有一婦人懷女兒。一人言。爾何知。曰
以意思知也。汝不信者。前到當見之。二人
倶及象悉如所言。至後象與人倶生。如是一
自念。我與倶從師學。我獨不見要。後還白
師。我二人倶行。此人見一象迹。別若干要
而我不解。願師重開講。我不偏頗也。師乃
呼一人問。何因知此。答曰。是師所常道者
也。我見象小便地。知是雌象。見其右足踐
地深。知懷雌也。見道邊右面草不動。知右
目盲。見象所止有小便。知是女人。見右足
踏地深。知懷女。我以纖密意思惟之耳。師
曰。夫學當以意思惟。乙密乃達之也。夫簡
略者不至。非師之過也
SAT大正新脩大藏經テキストデータベース

(19)昔、師に従い道を学ぶ二人有り。倶(とも)に去って他国に到る。道路に於いて象の跡を見る。一人が言う。此は母象にて雌の子象を懐(はらみ)、一目は盲にて、象の上に女児を懐(はらむ)一婦人有り。一人が言う。爾(なんじ)何ぞ知りたるやと。曰く意を以て思う也。汝、信ぜざれば。前(さき)に到り当(まさ)に之を見るべし。二人倶(とも)に象に及び悉く言う所の如し。後に至り象と人倶(とも)に生めり。一(ひとり)は自念(じねん)して是(かく)の如し。我と倶に師に従い学びしが。我独り要を見ず。後に還り師に白(いわ)く。我ら二人倶に行く。此の人、象の跡を一見し、若干の要を別つ、而して我は解せず。願わくば師、重ねて講を開かん。我、頗る偏らず也。師、乃ち一人を呼びて問う。何に因りて此れを知るかと。答えて曰く。是、師の常の道の所也。我、象の小便を地に見て。是、雌象と知る。其の右足の踏むは地に深し。雌を懐(はらみ)たるを知る也。道の辺の右面の草の動かざるを見て。右目の盲を知る。象の止まる所に小便有るを見て。是を女人と知る。右足の地深く踏むを見て。女を懐(はらみ)たるを知る。我、繊密に意を以て之を思惟するのみ。師曰く。夫れ、学は当に意を以て思惟すべし。乙を密にすれば乃ち之に達する也。夫れ、簡略は至らず。師の過ちにあらざる也。