文の助の落語 象の足跡 文の家文之助 述

大阪落語叢書 文の助の落語 文の家文之助 述
三芳屋書店 大正4 1915

象の足跡

 一寸(ちよつと)一席間(せきあひ)の楔子(くさみ)に西洋のお話を伺ひます、落語も沢山(たんと)ござりますが西洋のお話は余りやる者がござりません、西洋の話ですから日本語に訳し申上げます、日本のお話はお臍が宿替をするやうな面白味がござりますが西洋のお話は只だ理屈でござりまして日本のお話ほどお笑ひが多うござりません、併(しか)し西洋まで旅費を使ふて話を聞きに行く事を思ふたら日本へ取寄せて聞けば誠に安いものでござります、安い物と化物とはござりません、何(ど)うぞお買被りのないやうに聴いて戴きたうござります、さて所は墺太利(オースタリー)の国で冬向(ふゆむき)の事でござります、雪が五六寸も積つてござりまして一面の銀世界、矢張り雪が降りますと日本でも写真屋さんは勉強致しまして景色(けしよく)の宜しい所を写しに参ります、殊に西洋(あちら)は写真の本家(こちと)でござりますから写真屋は尚更勉強をして銀世界を写しに参ります、今や風景の佳(よろ)しい所を写さうと写真機械を組立て居(を)りますと其前に象の足跡が雪の中にポカ/\あります、オイ落語家(はなしか)宜(ゐ)い加減な事を云へ、象と云ふものは熱国(ねつこく)には居(を)るけれども寒国(かんこく)には居(を)らんものぢやとお咎めもござりませうが、其国で生れんでも他の国から来て居(を)ります、日本でも生まれませんが熱帯国から連れて来て動物園などへ参つて居(を)ります、左(さ)れば之れも他国から参つたものと見えます、すると其の雪の中の象の足跡をば七十近い赤髭を生はした爺さんが物指(ものさし)を持つて指し居(を)ります、写真屋は爺が前を迂呂(うろ)つくものだから呟(ぼや)いて居ります、
 写『怪体(けつたい)な爺やナ、ジツとしてたら一緒に写してやるのに、何をして居(を)るのや、象の足跡を指して居(ゐ)るぞ、妙な事をしよるナ、ハヽア見た事のあるやうな爺さんや、成程見た筈や、究理学の大先生や、究理学の先生が象の足跡を指して居(ゐ)るとすると何か変つた事があるに違ひない、一度聞(ぺんき)いて見てやらう・・・・・・先生々々(/\)』
 先『オ、誰(たれ)かと思ふたら写真屋の大将かナ、チツト写したかナ、冷たいのに御熱心ぢやナ』
 写『先生も亦(また)象の足跡を指してござるが、何をさるので』
 先『この愉快はお前達には分らん』
 写『へー、妙な楽みがござりますナ』
 先『お前は斯(か)う云う銀世界の風景の佳(よ)い所を写すのが愉快なら、私は理学が専門ぢやから象の足跡を指して訳の分らん所へ理に理を付けて考へるのが私の楽みぢや、象の足跡を指して此象は何(ど)う云ふ格好で雌か雄か事細に分るから愉快ぢやないか』
 写『先生、写真は機械があつて薬を使ふから写るに決つて居(を)りますが、象の足跡を指して何(ど)う云ふ格好と云ふ事が分つたらさぞ愉快な事でござりませう、間違なく分りますか』
 先『ア、分るとも』
 写『そんなら此象はドンナ象・・・・・・』
 先『僕の思ふのに此象は雌ぢやナ』
 写『ヘーイ、雌と雄(をん)と足跡が違ひますか』
 先『イヤ足跡は一緒ぢやが、理学から攻めるとコリヤ何(ど)うしても雌ぢワイ』
 写『ヘイ/\成程』
 先『お負に此象は片眼(かんち)ぢや』
 写『仕様もない、ウダ/\云ひなはんナ』
 先『イヤ/\、確に左の眼が悪い』
 写『ヘイ、ソンナ事が分りますか』
 先『フム分る、夫(そ)れから此象は懐胎(はらぼて)ぢや』
 写『懐胎(はらぼて)・・・・・・』
 先『腹の中に子を宿して居(を)る、其子は雄(をん)ぢや』
 写『へヽヽヽ、先生の山子(やまかん)には恐れ入りましたナ、人間の懐胎(はらぼて)でも男の子か女の子か分らんのに象の足跡を見て雌(めん)で懐胎(はらみ)で腹の中の子が雄(をん)やなんて、阿呆らしい、ハツタリ(ヽヽヽヽ)を食はしてもアカン』
 先『ハツタリ(ヽヽヽヽ)とは何(ど)うぢや、理学上から攻めると分るから愉快ぢやないか、お負に此象は婦人が追ふて来た・・・・・・』
 写『ヘー、女が追ふて来た』
 先『疑ふなら此象の足跡を探つて行つたら分る、足跡の仕舞の所に象が居(を)るに違ひない、其所(そこ)で一ツ調べたら何(ど)うぢや、僕の云ふた事が万が一違ふたら此白髪首(このしらがくび)でも・・・・・・と云ひたいが西洋人だから赤髪首(あかゞくび)でもお前に上げやう』
 写『ヤア面白い、先生の云ふた事が間違ふたら首をお呉(く)んなはるナ』
 先『ア、安い事ぢや、何時(いつ)でもやる』
 写『そんなら行きませう』
と物好な写真屋で機械を担(かた)げて付いて来る、右の先生は先に立ちまして象の足跡を探り/\参りますと一軒の家があります、内方(うちら)へ入つて来(く)ると五十位の男が台所で火を焚いて温(あた)つて居(を)ります、写真師は、
 写『チヨツト伺ひます』
 男『ハイ、何ですナ』
 写『お宅に象が居(を)りますか』
 男『象は居(を)ります』
 写『何所へ参りました』
 男『今用達(いまようたし)に行つて帰りまして、裏の小屋に繋いであります』
 写『ヘーイ、お家(うち)の象は雄(をん)ですか雌(めん)ですか』
 男『家(うち)の象は雌(めん)です』
 写『ヘー、雌(めん)ツ・・・・・・』
 男『貴方(あんた)眼を剥いてなさるナ』
 写『若しや懐胎(はらみ)やおまへんか』
 男『エライ事を云ひなされた、如何にも懐胎(はらみ)ぢや、子を宿して居(を)ります』
 写『是れは恐れ入つた、腹の中の子は雄(をす)ですか雌(めん)ですか』
 男『ソンナ事は分りませんヨ、生れて見んと、腹の中には確に子を持つて居(を)るには違ひござりません』
 写『此象は片眼(かんち)ですか』
 男『こりや感心、左の眼が悪うござります』
 写『フーム、如何にも恐れ入つた・・・・・・・・・・・・先生々々(/\)』
 先『何(ど)うぢや写真屋さん、合ふたかナ』
 写『カカラの感心、ビビラの吃驚(びつくり)、先生の仰しやる通りです、只だ一ツだけ腹の中の子は雄やら雌やら生んで見んと分らんと申して居(を)ります・・・・・・・・・・・・モシ此象を追ふて帰つたのは婦人だと思ひますが、女ぢやありませんか』
 男『ハイ、家(うち)の娘が追ふて帰りました』
 写『ます/\感心、御主人、其娘さんは途中で小便をしませなんだか』
 男『此人等(このひとら)二人は何を尋ねに来たのぢや、家(うち)の娘かて小便がしたうなつたら仕(し)ますやろうかい・・・・・・娘や、其方(そなた)途中で小便をしやせなかつたか、仕(し)たらしたと云ひなされ・・・・・・羞(はづか)しがる所を見ると仕(し)たやうです』
 写『ヘーイ、先生、何(ど)う云ふもので斯(か)う云ふ事が詳しい分りますので』
 先『此象の足跡を指して考へて見ると、左の足跡の深さが三寸ある、右の足跡が一寸五分しかない、左の方の足跡が深い、左の足跡が深いから跛(ちんば)で雌(めん)で左腹だ、男の子は左へ宿す、女の子は右へ宿す、左の方に子があるから左の足跡が深い、右に子がないから足跡が浅い、と斯(か)う鑑定を付けたのぢや』
 写『夫(そ)れでは片眼(かんち)と云ふのは何(ど)う云ふ訳で』
 先『象と云ふものは我身体(わがからだ)が重いから道を歩く時でも左右をコツ/\叩いて歩く、叩いて見て若しメキツとでも云ふたら幾ら追ふても歩かん、夫れが右の方ばかり叩いて居(ゐ)るから左の眼が片眼(かんち)ぢやわい』
 写『ヘーイ、エライ事が分かりますナ、女が追ふて来たと云ふのは・・・・・・』
 先『此の婦人が小便をしてから分つたのぢや』
 写『ヘー成程』
 先『小便の形が後にあつて、足形が逆様に付いてあるわい』

国立国会図書館デジタルコレクション