2017年8月27日日曜日

禅学講話  第八章 理想と実行との帰一----修證不二論 忽滑谷快天 述

禅学講話 忽滑谷快天 述
井冽堂 明治39.6 1906.6

第八章 理想と実行との帰一----修證不二論

修とは修行とか修養とか申すこと、證とは修行の結果として得たる大悟とか證得とか申すことである。即ち修因證果と熟字して、修は平生吾人の工夫練磨を積むこと、證は吾人の工夫練磨の効によりて明確に道理を明らめ精神の安住を得るのであります。譬へば修行は学生が学校にて毎日学問する如きもの、證得は学校を卒業する如きものである。また譬へば修行は食物を咀嚼するが如く、證得は食物が身体を養ふが如くである。然るに禅門に所謂、修證は修の始めなく證の終りなしと申して證得をし安心をしたから、それにて修養は終りになるといふのではない。譫へば小学校を卒業したから、それにて学問は終つたとはいはれぬ、更に中学に進み、高等学校に入り、大学に進み入りて研究し、大学を卒業しても、それにて学問が卒つたのではない、更に終身桔据勉励して益々学問の堂与に入るやうなものである。されば学問には無限の進趣がある。これと同時に小学の卒業も、中学の卒業も、高等学校及び大学の卒業も一段一段の證得であり安心である。否、毎日毎日一事を学べは一事を得るのであるから、修業あり證得がある。されば学ぶのが其儘其所得なので、修行と證得とは別にあるではない。今日今日の勤めが修行なり證得なりである。前の譬喩にて言へば食物を咀嚼する間に食物は体内に吸収せられ、吸収せられたる食物は身体となりて更に食物を消化するが如くであります。これを修證不二といふのである。
さすれば人間の一生は大なる石造の高楼を築きつゝある如くで、毎日毎日一個若しく数個の石を積み上げて行く、然れば吾人が築きつゝある家は如何なる法則に従ふて築かねばならぬか、また如何なる目的に使用するやうに作らねばならぬか、これ大なる疑問である。思ふに世界幾億の人類は皆それ/゛\力を尽くして此大廈の建築に従事して居るのであるが、さればとて実際に建築の目的を意識して努力して居る人は少いのである。大凡生物の進歩発達に三段の階級があるやうに思はるゝ。第一は無意識的時代、第二は意識的時代、第三は目的を意識する時代である。
土瓦石芥の類より草木及び下等なる動物にありては全く眠れるが如く無意識の状態にありて、自個の存在を殆んど知らずに居る。之に反して高等の動物は意識を発動して自己の存在を知り、単に機械的、反射的に活動するのみでなく、意志の働きによりて自ら思ふ如く活動しつゝあるを見る。然れども彼等は単に生活せんが為めに生活するのみで何等かの目的ありて生活するを知らぬのである。人間にありても単に自身の生活の為め、子孫の生活の為めに努力して日もまた足らず、生活の為めに生活して毫も何等の目的ありて生活するとは知らざる人がある。それより更に一段の進歩をすれば人間生活の目的を意識して生活するやうになる。これが生物進歩の三段階であります。
次に人間にも同様なる三階段の進歩発達がある。即ち人間が母の体内にて細胞である頃より漸次に発達成長して体外に生れ出で、嬰孩にして褓襁にある間は夢の如く眠れる如く一向に無意識的である。然れども次第に成長するに従て自身を認識して他人との区別を知り、自己の意志に任せて活動せんとするやうになる、これ一段の進歩であります。然れども此意識的生活の時期を通過して目的を認知し、其目的に合するやうに生活するものは少いのである。
譬へば河の水が自然に低き方へ低き方へと流れて東西に曲折するけれども遂には必ず大海に注ぐ如く、生物も生存競争をしつゝ幾百万年の長日月を通じて進歩したる結果或一定の目的に向つて進みつゝあるが、河水が其流るゝ目的を知らざるが如くに生物も其目的を理解せざるものが多いのである。而して生物は如何に生活すべきか、如何に生物の生活しべき舞台は作られてあるか、如何にして活動は可能であるかといふ問題を吾人に教へるものは百科の学問でありまして、如何なる目的を以て生活し、如何なる活動をしたならば其目的に添ふであらうかといふ問題を吾人に示すのが哲学や宗教であります。
然り而して我仏教に説く所は人生の目的は智徳の向上にあると申すので、前回の講義に詳述したる悲智の二つであります。人生の目的が智徳の向上にあるといふは決して空論や、空想を逞うした次第ではないので、地球発達の歴史に徴して明かなる事実である。何となれば我地球が幾十億万年の長い春秋を閲して漸く原始生物の生活に適する状態となりてより今日人間全盛の時期に至るまで、生物進化の段階は一歩一歩、智徳の二つに於て進歩をなし、人間の出現してより今日の文明に至る迄大約二十五万年の歴史も等しく智徳向上の歴史に外ならぬのである。さすれば吾人の将来も亦智徳の向上を一貫の主義とせねばならぬ。これを今日流行の語にて申せば智徳の向上を理想として毎日毎日之が実現に努力するのである。而して一の理想を実現すれば、また其上の理想を形成して之を実現し、当該理想を実現すれば更に其上の理想を形成して愈々益々無限に進歩し無限に向上するを努めるのである。この理想を実現せんとするの努力は即ち修行で、理想を実現したのは證得である。故に修の始めなく證の終りなしで、限りなく智徳の向上を期するのであります。

是に於て乎、四弘誓願にも、
    衆生無邊誓願度   煩脳無盡誓願断
    法門無量誓願學   佛道無上誓願成
とありまして、衆生は無辺無数に多いけれども誓ふて済度したい、煩悩の迷執は尽くることなく沢山あれども誓ふて断じ尽したい、教法は量りなく多くあれども誓ふて学び畢りたい、仏道は無上甚深であるけれども誓ふて成就したいと願ふのであります。此四句を要約すれば第二句の煩悩無尽誓願断と第三句の法門無量誓願学とは正智を得んとする希望で、第一句の衆生無辺誓願度と第四句の仏道無上誓願成は慈悲を行はんとする希望である。
されば此四大願とは智徳と円満にせんとの大希望に外ならぬ。
かくして毎日毎日の修行が最も肝要なる努めであるから、修證義にも
 我等が行持に依りて諸仏の行持見成し、諸仏の大道通達するなり、然あ
 れば則ち一日の行持是れ諸仏の種子なり、諸仏の行持なり
と示されまして一日一時一刹那の修行も非常に大切なる安心解脱の素地であり、仏祖の行持である。故に禅の宗旨は一も奇特玄妙といふて不可思議なる出来事や、俗耳を悦ばすやうな一種奇妙なることを教へるのではない。
昔し黄蘗希運禅師が天台山に遊びました時、一人の雲水僧が同伴となりましたが、妙に其雲水の眼が輝いて居る。暫くして二人共に大なる谷川の辺に来りました、然るにこの谷川は水勢急にして水は溢るゝばかりに流れて居る。且つ渡るべき橋もないから黄蘗も暫時踟蹰しつゝあると、件の雲水はいざ渡りませうとて裳をかかげて水上を行くこと陸地を踏むが如く、中流より後ろを顧みて早く渡り給へと黄蘗にいへば、黄蘗は大いに憤りまして、おのれ、羅漢なりと知らば早く汝が脚を打ち折りてくれんものをと申しました。是に於て羅漢は黄蘗を賛歎して真に是れ大乗の法器なり、我及ぶ所にあらずといふて何処ともなく消え失せたといふ話しがある。這は謂ふ迄もなく歴史的事実として見られぬ話しであるが、禅の要は神通変幻にあらざることを諷したものであります。
然るに兎角宗教といへば何か一種超絶的な、不可思議変幻のことがなくては物足らぬやうに思ふのが幼穉なる人の常である。這は小児野蛮人に於て見る所の現象で、小児が変幻の事を好み、奇妙なる話しをすると耳を欹て聴きますが、野蛮人及び無智なる人士は兎角此弊を免れぬ。ロングフェローが詩中に滑稽な話しがある。
或る山寺にアンチンとチモシイといふ二人の雲水僧がありまして夏日行乞に出て多く麦や米を貰ふて背に負ふて寺へ帰る途中、荷物は重し汗は流れる非常に困難したるが、アンチンは元来お心よしの僧で少しも悪意はない人物であるから正直に荷を負ふて先きへ行く、チモシイは道楽坊主で酒も飲み賭博もする魚も食ふ、オマケに全身豚のやうに肥えた大入道でありまして後から荷物を負ふて苦しげに歩みつゝ、何か善い方便を回らして此重荷を寺へ送らうと思案して参りました。良々久しくして二人は一の林の所に来ると一頭の驢馬が木に繋いである、チモシイはこれ幸と荷物をおろして驢馬に載せ、アンチンの荷物もおろさせて之を積み、此馬を寺へひいて行くやうにとアンチンに申しますから、アンチンは何の分別もなく、驢馬をひいて寺へ還りました。然るにチモシイは驢馬の手綱を解きて己が首に纏ひ一方の端を樹に繋いで其蔭で午睡(ひるね)して居りました。すると驢馬の主人たる次郎は山より薪を伐りて出て来て見れば驢馬は何時の間にやら大入道となつて居る。そこで呆然自失、如何(どう)したことかと見てあるに、チモシイはやほら身を起こし、空涙(そらなみだ)を流して申しますには次郎さん私は隣村の山寺に住むチモシイといふ雲水で御座りますが、余り多く魚を食ふたり酒を飲んだりした為めに現身に驢馬と化して、御前(おまへ)の家に買はれて行き、それよりといふものは夏となく冬となく追ひ使はれ草と藁ばかり食ふて苦役をした。
それで漸く罪も滅びて再び元の出家の体に立ちかえつた。どうぞ一旦驢馬となり主人となりて御前さんと主従の縁を結んだものだから、今晩は御前さんの家に泊めてくだされといへば、次郎は気の毒に思ひ、貴僧と知らばあのやうに使ふではなかつたものを、知らぬことゝはいへ、可愛さうに甘いものも食べさせず、定めて辛いことであつたらう。そのかはり今晩は少
し御馳走を致さう程に堪忍してたまはれといふ。チモシイはこゝぞとつけ入り、然らば主人の御心に従ひ今晩は充分酒肴を頂戴致しますとて、二人つれだちて次郎の家に戻りまして次郎は早速其妻や下男に命じて酒肴の用意を十二分に致しチモシイをもてなせば、チモシイは長鯨の百川を吸ふが如くといふ古人の形容の如く、杯を左手に持ち右手に箸をとりて飲みては食ひ食ひては飲み、息をもつかず飲食すれば次郎は大いに心配して其様に飲食して再び驢馬になつてはならぬ、静かに召し上れといふに、チモシイは長の年月草と藁のみ食したれば空腹にて致し方なし、仮令再び驢馬にならうとも飲める丈け飲み食へる丈は食はせ給へとて、熾んに飲食し、酔眼朦朧となりて[治郎]が妻に戯(ざ)れ言さへいへば治郎は一方ならず心痛して、辛くも其夜はチモシイを臥床に睡らせました。翌朝に至りてチモシイは大きに厄介になりしとて治郎の家を立出て悠々と山寺へ帰りまして、方丈に面会し、昨日アンチンのひき来れる驢馬は隣村の治郎が菩提の為めに寄付するとのことで御座ると申上れば、方丈は[其]は殊勝のことなり、されど山寺にて驢馬は不用なれば市に売りて金にせよとて、馬市場に出しました。治郎は驢馬を失ひましたから市場に出て善き馬を買はんと彼処此処を見回すに、チモシイと全く同じなる驢馬のあれば、非常に駭きまして、折角、出家にかへつたばかりに余り多く飲食して再び驢馬になりましたものと思ひ、馬の耳に口を寄せて、チモシイ、御坊は私の言ふことを聞かず余り多く食ふたから又も驢馬になりなされた。併し私が買ふて大切にしてやるから安心しなさいと細語けば、驢馬は耳の中に風の入りたるに心地悪しと思ひけん、ブル/\と耳を振れば、治郎はチモシイ、御坊は知らぬ顔しても、それはいけぬ、私は御前の毛色を善く知り居るとて其驢馬を買ふて帰り、チモシイと名けて一生大切に飼ふて置いたといふ。
這は幼穉なる人民が阿呆らしき迷信を懐けるを笑ふた物語でありますが、今日文明と称する国々にも以上の物語と大差なき迷信は多く行はれつゝある。
我国に於ても兎角小供らしい奇談怪説を好んで宗教に付加し、又病的なる信仰の蔓延するは好ましからざることである。宗教は其様に変幻奇怪なるものではない、真面目のことで、吾人の毎日毎日の勤めが宗教である、毎日の努めが修行である。されば百丈は
  日日是好日
とて一年三百六十五日一日として悪しき日はない、皆仏法修行をなすべき好日であると示され、涅槃経には
 如来の法中には吉日令辰を選択することなし
と示されてある。故に栽松道者は松を植ゑて修行し、六祖大師は米を搗きつゝ御修行なされたのであります。カアライルの語に
 最も高きに達する道途は最も低き所に横はる
とある如く吾人が平生の卑近なる義務の中に高尚幽玄なる道は存在して居るのである。王陽明も
    饑來喫飯倦來眠、  只此修行玄更玄、
    説與世人渾不信、  卻從身外覓神仙

    (饑來レバ飯を喫シ倦ミ來レバ眠ル、只此修行玄更ニ玄ナリ、
    與スレバ世人ニ説渾ヲ信不、却テ身外ニ従テ神仙ヲ求ム)

といふて喫茶喫飯の平生の修行が玄中更に玄なるを知らずして神仙の道を他に求むるを戒めた。基督も
 神の国は顕はれて来るものにあらず、此に見よ彼に見よと人の言ふべき
 ものにあらず、夫れ神の国は爾等の裏にあり
と申して神の国は吾人の裏にあるを示した。また大祖国師は
 茶に逢ふては茶を喫し、飯に逢ふては飯を喫す
といはれて日用喫茶喫飯の外に六づかしい悟りがあるではないと示されました。洵に其通りで茶に逢ふては任運に茶を喫し、飯に逢ふては無分別に飯を喫することができれば最早大安心を得たのである。然るに吾人には容易に茶に逢ふて任運に茶を喫することができず、飯に逢ふて任運に飯を喫することができぬ。茶に遇ふては種々の妄想を起し、飯に遇ふてはさまざまの下劣なる慾望を起して心中常に波瀾を生ずるのである。悟りといふも證果といふも畢竟は一心其物にある。誌公の語に 即心即仏を解せざれば驢に騎りて驢を覔むるに似たりとある。西洋の或精神病患者は身体の感覚を全く失ふたる為め、自己の身体は久しき以前に死して生滅したりと信じた。而して医師が患者の腕を圧す時は患者は駭いて、腕があつたとて喜び、看護婦が其頭を圧せば、我頭があつたとて喜び、鏡を見すれば非常に其頭首の存在を見て打喜び、炭酸浴に入れて全身を刺戟したるに全身が復活したとて喜んだといふ話しがある。即心即仏を解せざる人も亦此精神病患者の如くであります。
要するに禅の要は当意即妙で、柳暗花明、艶桜素梅、物に当り事に感じて其天真の妙を掬するなあり、俳人芭蕉の大悟せしといふ古池真伝なるものは小築庵春湖の上梓したるもの、元より史的事実としては見難からんも、禅の妙味を知るに於て一助たるに足らんと思へば、こゝに引證して読者の為めに指注することゝせん 常州鹿島根本寺仏頂長老、博覧大悟の知識なり、桃青翁旧交の師なりと始めに記してある、芭蕉と仏頂和尚との関係は和尚が江戸深川の臨川寺長慶寺などへ在住の時、芭蕉と玄機を談じたるものゝ由、臨川寺は本は臨川庵とて芭蕉の住庵なるを仏頂和尚が上京する度毎に之に宿して芭蕉と禅を談じたるが、天和年中、芭蕉を開基とし仏頂和尚を開山として臨川寺としたりといふ。芭蕉に鹿島紀行あり、曽良と共に根本寺に至りて仏頂和尚に見えたる時、
    月はやし梢は雨をもちながら
    寺に寐てまこと顔なる月見かな
    雨に寐て竹おきかへる月見かな      曽  良
   をり/\にかはらぬ空の月かけも
    ちゞのながめは雪のまに/\       仏頂和尚
の詠あり、何れにしても芭蕉は仏頂に参して玄機を味ひたるに相違はない。
それより次の文に
 近来江戸深川長慶寺へ移転せられたるに桃青を訪はんとて六祖五兵衛を
 供して芭蕉庵に至る
とある。六祖五兵衛は仏頂和尚の僮僕にて六祖と渾名し、一丁字をも解せざれども仏頂に参して徹底したる奇人にて芭蕉が悟道の友なる由、次に 六祖先づ庵に入りて、如何なるか是れ閑庭草木中の仏法、桃青答て曰く

 葉々大其底者大、小底者小
六祖先づ問ふて如何是閑庭草木中仏法といふた、仏法とは道のことで、つまりは吾人が安住の地であります。されば閑庭草木中の仏法とは寂々寥々たる芭蕉庵の草木の中に居て翁が安住する処は那辺ぞと問ふたのである。
古人が石頭大底者大小底者小といはれた如く、青々たる大小の木の葉の中にも、大石小石の碌々たる中にも真如の俤は見え、安心の地はある。昔し唐の代に有名なる学者の李翔が楽山禅師に問ふ、「如何是道」と、仏法といふも道といふも同じであります。楽山此時指を以て天を指し、また水瓶を指していふ、「会すや」、会すやとは理解したかとの意である。李翔云く「不会」、わかりませぬ。楽山便ち、「雲は青天にあり水は瓶にあり」と申されました。
 夫より長老内に[入]り、近日何の有る所ぞ。桃青答へて曰く、雨過洗青苔(雨過テ青苔ヲ洗フ)
それより仏頂長老が庵に入りまして問ふ、近日何の有る処ぞ、近頃は何か変つたことでもあるか、平生安住の地は如何と一拶せられた。芭蕉は何処までも目前の境を以て答へ、昨夜の雨が庭中の塵を洗ひ去りて青苔も一層の青さを増して閑雅の趣を添へましたと答えた。此頃は芭蕉も余程修養を積んで造詣する所が深くあつたに相違ない。
 又問ふ如何なるか是青苔未生以前の仏法とある時、池辺の蛙、一躍して
 水底に入る音に応じて、蛙飛込む水の音と答ふ
仏頂和尚は再問して、雨過洗青苔といふ目前閑雅の境になりきつた所はよいが、更に青苔未だ生せず、草木国土も未だ生せざる所、如何に安住の地を求めんかと深刻なる問ひである。大概の人は此問ひには答へられぬのであるが、流石は蕉翁、蛙の水に飛込むを其儘に何の造作もなく、蛙飛込む水の音と例の俳諧句調にて、すら/\と答へたるは実地に踏着したる漢である。
 仏頂長老、珍重珍重と唱へて持玉ふ所の如意を桃青に授与す
仏頂も是に於て賛歎しまして珍重珍重といはれ、蕉翁の悟道の證として如意を授けられた。如意とは笏に類したる法器であります。
 長老席上に紙毫をとりて、本分無相、我是什歴物、若不会、為汝等諸人
 下一句子、看看、一心法界、法界一心、と書して諸風子に示し給へば、
 其時始めて法界と一心の水音に耳ひらけて、実に桃青翁の省悟を各ゝ随喜
 しけるとなり
 (本分ハ無相なり、我ハ是なに物ゾ、若シ会セ不レバ、汝等諸人の為メニ、
  一句子を下サン、看ヨ看ヨ、一心法界、法界一心)
因みに仏頂長老其席上にて筆をとり紙を伸べて記したる文句に、本分無相、我是什歴物とある、本分とは前に謂ふ所の道とか、仏法とかあるのと同じで、道といひ、心理といふ元来一定の相状のあるものではない、我といふも畢竟は何物であるか、若し会せされば、若し了解ができぬならば、汝等諸人の為めに一句を下して見せやう。見よ、一心法界、法界一心で、法界といふも宇宙といふも同じである、宇宙は即ち一心、一心は即ち宇宙、と記された。そこで芭蕉の門弟衆も師翁のいふたる蛙飛込む水の音の一句に一心法界の旨を道破せられたるを知り各ゝ其省悟を喜びました。
 このとき杉風謹で桃青翁を賀して、我師風雅に参禅の功を積で、今に水
 音大悟の一句に仏頂長老證明付法の如意を授け給へば、今は天下に宗匠
 たるばしとて賀儀をのぶ
杉風は芭蕉の弟子であります、時に杉風の申すには我師蕉翁は風雅を弄ぶ中に参禅して今は水音の一句に仏頂長老の印可もあれば、これより天下の宗匠たるべしとて喜び祝ひましたのである。
 嵐雪が云ふ、水音に俳骨こと/゛\く連続すといへども、未だ冠の五字を
 きかず、師是を定めたまへ。翁のいふ、我もこの点を思へり、しばらく
 諸子の高論を聞て、而後に定めんと欲す、ニ三子試にこの冠五をいへ、
 きかん
時に嵐雪の云ふには水音の一句は俳諧の下の句にて完全に出来たれども未だ冠の五字が不足して居る。願くは師翁之を定め給へといふた。依て芭蕉は諸子の高論を聞て後に自ら定めんとて、先づニ三子の技倆を試みんとしたのである。
 各ゝ首をかたぶけて練思す。やゝあつて、杉風、「宵闇や」の五文字を出す。
 嵐雪は「淋しさに」と伺ふ、其角ひとり「山吹や」と色即是空々即是色の曲をつ
 くして其姿を調へんとす。翁つく/゛\と見て云ふ、吾子等が冠五各ゝ一理
 を含んで平生の句にまされりといふべし。就中其角が「山吹の」はなやかさ、
 ちから有て好し。さりながら、かゝる七五の冠たてんは観相見様の理を
 離れて、只此庭のこのまゝに、我は「古池や」とおき侍らんとあるに各ゝあつ
 と感じ入る。
各ゝ首を傾けて考へたるが
    宵闇や蛙飛込む水の音    杉 風
    淋しさに蛙飛込む水の音   嵐 雪
    山吹や蛙飛込む水の音    其 角
とつけたるに、蕉翁はニ三子の句を讃め、殊に其角の「山吹や」の一句、花やかにして力ありといひたるが、我は只此庭の儘をとて、古池や蛙飛込む水の音と定めたれば一同アツとばかり感じ入つたとのことであります。
 古池や蛙飛び込む水の音、妙なるかな。爰に俳諧の眼ひらけて天地を動
 かし、鬼神を感ぜしめぬべし。是こそ敷島の道ともいふべく、仏をつく
 る功徳にもたくらぶべけれ。人丸の陀羅尼、西行の讃仏来も、わづかに
 一七字の中にこめて向上の一路に遊び、真如法性の光をはなたれて遠く
 天下の俗誹を破る。今時の俳人を正風の真路に導かんこと此翁なり、嗚
 呼、天地風雅也、万象風雅也
これは記者の文にて蛇足の嫌ひがあります。何は兎もあれ芭蕉正風の俳諧には天地を洗ひ清むるの力があるやうに思はるゝ。天目中峰和尚の句に
    印破虚空千丈月、洗清天地一林霜
    (破ス虚空ヲ印千丈ノ月、清ス天地洗一林の霜)
とあるが、此間の消息は禅者が胸中の風月である。

    箔ぬりの仏も人の案山子哉    環 渓
    世の中は三分五厘梅の花     物 外
      

注:
桔据勉励: 底本 桔の字は「手偏に吉」
大廈(たいか): 大きな建物。立派な建物
嬰孩(えいがい):赤ん坊
褓襁(おしめ):おしめ
黄蘗希運(おうばくきうん):中国唐代の禅僧
踟蹰(ちちゅう): 躊躇すること
幼穉(ようち)
現身(げんしん):仏教用語・現世の姿
一丁字(いっていじ):一文字

国立国会図書館デジタルコレクション