2017年8月20日日曜日

教訓世界お伽ばなし 頓智の首斬

教訓世界お伽ばなし 園部紫嬌 著 石塚松雲堂  明治44.2 1911
頓智の首斬
 『ア痛いと気を変えさせ。』
 むかしは一寸(ちょいと)仕(し)た罪でも首を斬られたもので、此の罪人の首を斬るために、お役人とは云えぬが、穢多の頭なぞがその役目を代々親譲りで勤めたものだ、其の役目を勤めて首斬りの名人と云われた、首斬浅右エ門(くびきりのあさえもん)と云うた男が、或る時刑場(しおきば)で両人(ふたり)の罪人を並べて首を斬った時に、一人の罪人は、
 『俺が首を斬られたら、向うの砂利に喰ひ付いてやる。』と云い、又一人の罪人は『俺は首を打たれたら、大刀取(たちとり)[首を斬る人]の咽喉笛(のどぶえ)へ食らい付くからそう思え。』と、さも口惜(くや)しそうに唸りながら、浅右衛門の顔を睨んだ、スルと流石に浅右衛門、何を云うかと云う風で、別に恐いの恐しいのと云う風姿(そぶり)はなく先ず刀へ水を掛けさせ、万事式(かた)の如く仕(し)て、最初一人の首を斬ると、何(ど)うでしょう、人の一念(おもい)は恐いもので、云うた如(とお)り首斬り場の向うに敷いてある小砂利へ、罪人の首は飛んで行って喰らい付いた、観る者皆慄毛(おぞげ)を振って恐れ、此次の奴の首は浅右衛門の咽咽笛へ食い付くだろう、サア大変な事に成ったと、浅右衛門の容姿(ようす)を眼を円(まろ)く仕(し)て観て居ると、其人は少しも愕(おどろ)かず、益々沈着の体度(たいど)を示し、静に罪人の背後(うしろ)へ廻って、前の如(とお)り刀へザブリ、式(かた)の如く凡てあってヤッと云う掛声諸共、首は前へ落ちたかと思うと、最初の一大刀(ひとたち)は胸打(むなうち)で、刀(は)の無い方で首筋を打ったから、痛いと罪人が思った処へ、二度目の大刀(たち)をエイと下して、美事に首を斬ったので、ソリャこそ咽喉笛と思いの外、反ってその首は意気地もなく、コロ/\コロと転げて斬穴(きりあな)へ落ちたので、見て居る者は力が抜け、何(ど)う仕たことゝ、浅右衛門の顔を眺めた。
 スルと浅右衛門が笑うて云うのに、『突然(いきなり)此奴(こやつ)の首を斬れば、前の如(とお)り、屹度(きっと)咽喉笛に食い付くに違いない、処で一度胸打をくわせ、食い付こうと思い詰めた一念を、ア痛(いた)と他へ転じさせ、其処(そこ)で俄に首を斬ると、何も思はぬ首になって、是れ此通(このとお)りコロ/\と転げるのだ。』と云ったので、流石は首斬浅右衛門程あり、時に取っての好い頓智と、見た人聴いた人々は何(いず)れも感心したそうです。

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