2017年8月20日日曜日

皿屋敷於菊之実伝 (久米平内)

皿屋敷於菊之実伝 泉竜亭是正 作 桜斎房種 画
編輯兼出版人 羽田冨次郎 明治十六年五月二十一日御届 (1883)
上之巻 (久米平内)

----されば又そのころ粂平内(くめのへいない)というものあり、元来強気(けんらいごうき)にして、剣術捕手(とりて)の名人と世上に聞え高ければ、青山一人おもへらく「我が盗賊掛りにて召し捕ることを旨(むね)とせば、斯くなる者を抱へなば、我片腕ともなるべし」と主膳は手づるを求め平内を招きしが、粂は早速罷りせし、青山大いに喜び先ず酒食を取り出(いだ)し厚く饗応してのち、わが役儀に随身ならんとことをすゝめしが、粂は一儀にもおよばず青山に身を寄せ、然(しか)してのち、罪人首切りを願いしかば、主膳は喜びなゝめならず、斯くなることをのぞまるゝは誠に武士の本意なりと、平内をそんきょうして、是より科人首切り役を云つけゝる。
 傳へきく、すいきょう人山田浅右衛門は、一代に千人つかを一本建しときゝしかども、粂の平内は一代にして二本迄たてしと聞く。蓋しこの千人塚とは、罪人の首千人切る時は一本をたてるが例なり。
 されば罪人己が科ありて首切らるゝに、なんぞや太刀(たち)とりを恨むる筈はなけれども、多くは最期の一念その切り手を恨むや平内亡死(ぼっし)てのち伜が枕べに顕れ「我れ此の世にありし時多くの罪人を手に懸け、その報いにや未来の苦患(くげん)、のがるゝ隙なく、願うは此の身の姿を刻み人立ち多き所へ捨て置き風雨にさらし数多(あまた)の人が土足に懸けて踏み付けなば罪障生滅(ざいしょうしょうめつ)うたがいなし」と夢見ることの両三夜(りょうさんや)、粂が伜は大いに歎き「さては父上この世にて罪有るものとはいゝながら、多くの人を手に懸けし其の罪科(とが)のおそろしく、いまだにうかみたまわずや」と、はふり落(おつ)る涙をはらい、父が夢中(むちゅう)に知らせし通り石にて平内が姿をきざませ、往来茂き所といえば浅草雷神門まえへうち捨て罪障生滅の為、風雨にさらし人びとに土足にかけて踏み付けよと道路へまろましありけるを、いつしか世人(せじん)の聞違(きゝちが)い、男女(なんにょ)に限らず縁遠きは文(ふみ)をつけて願い事なせし、風雨にさへもさらされずいつの世にか一宇を建て浅草寺(あさくさでら)の境内にて、いまは一社の末社(まっしゃ)となり参詣茂くありけるは、こは則ち大慈悲の救いによりて平内も往生得脱(おうじょうとくだつ)為す-----


単純翻刻

○引渡せば----されは又そのころ
粂平内(くめのへいない)といふものあり元来強気(けんらいごうき)にして
剣術捕手(とりて)の名人と世上に聞(きこ)へ高ければ
青山一人おもへらく我盗賊掛(わがとうぞくかゝり)にて召捕(めしとる)[こ]とを□

□旨(むね)と
せば
斯(かく)なる者
を抱へ
なは我
片腕と
もなるべしと⦿

⦿主膳は
手づるを求め△

△平内を招きしが粂は早
速罷りせし
青山大ひに
喜び先(まづ)酒食
を取出(とりいだ)し厚く饗
応してのちわが
役儀に随
身[な]らん
ことを[ことを]すゝめしが
粂は一儀にも
およばつ青山に身を寄
然(しか)してのち罪人首切り
を願ひしかは
主膳は
喜び■

■なゝめ
ならづ
斯(かく)なること
をのそまる
るは
08
誠に武士の
本意なりと平内を
そんきやうして是より
科人首切役を云(いゝ)
つけける傳へきく[吹挙](すいきやう)
人山田浅右衛門は一代に千人つがを
一本建しときゝしか
ども粂の平内は
一代にして二本迄
たてしと聞蓋し
この千人塚とは罪人の
首千人切時は一本をたてる
が例なりされば罪人己科(ざいにんをのれとが)ありて

首切(くびきら)るゝになんぞや太刀(たち)とりを恨むる
筈はなけれども多(を[ふ])くは最期の一念その
切手を恨むや平内亡死(ほつし)てのち伜が枕べに
顕れ我此世にありし時多くの罪人を
手に懸けその報ひにや未来の
苦患(くげん)のがるゝ隙なく願ふは此
身の姿を刻人立をふき
所へ捨置(すてをき)風雨にさらし数多(あまた)
の人が土足に懸けて踏付(ふみつけ)なば罪
障生滅(ざいしやうしやうめつ)うたがひなしと夢見ることの両三夜(りうさんや)○

○粂が伜は
大ひに歎きさては
父上この世
にて罪有(つみある)
ものとはいゝ
ながら多([をふ])くの人を
手に懸け
し其罪
科のを
そろしく
いまだ
にうかみ
たまわづ
やと

ふり
落(をつ)る涙(なみ)だ

09
はらい父が夢中(むちう)に知らせし通り
石にて平内が姿をきざませ往来
茂き所といへば浅草雷神門まへ
へうち捨罪障生滅の為風雨に
さらし人びとに土足にかけて踏
付よと道路へまろましあり
けるをいつしか世人(せじん)の聞違(きゝちが)ひ
男女(なんによ)に限らず縁遠きは文(ふみ)を
つけて願事なせし風雨に
さへもさらされづいつの世にか
一宇を建(たて)浅草寺(あさくさでら)の境内
にていまは一社の末社(まつしや)となり参詣(さんけい)
茂くありけるはこは則ち大慈悲の

救ひによりて平内も往生得脱為(をうせうとくだつなす)
時ならん------
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