2017年8月12日土曜日

今古実録 怪談皿屋敷実記

今古実録 怪談皿屋敷実記 :  栄泉社 明治19年

古今実録序詞
我往古一度文物の端を開き稍(やゝ)盛典の時と得しも中世(ちうせい)の戦国乱離を極め古書歴史は多く兵燹(へいせん)に羅り其存する者数部を闕けり此年歴文物(このねんれきぶんぶつ)も又廃れ学事を保する者纔(わづか)に浮屠氏(ふとし)に過ず近世(きんせい)足利氏以降元亀天正の頃まで武門に博識の徒出(いで)しもあれど猶干[才(戈)]止む時なく文学たま/\公卿武家に波及するのみ期(とき)に僧侶なくんば平家物語太平記諸軍記の編述今世(こんせい)に傳ふるなきに至らん歟(か)故に我国の軍記史略に多く佛語を引く者は蓋し釈氏の手に成しを以てなり坊間貸本と称ふる俗書の今に傳ふるも是又僧徒の著述に成る物数巻(すくわん)その事跡虚を省き最も実に近きを撰(えら)み尚ほ引証に依て校正全き栄泉社中の蔵版に於る世の貸本を網羅して略尽(ほゞつく)せるの功勉(こうつとめ)たりと云も可(か)ならん此(こゝ)に於て今古実録(きんこじつろく)の題名目下世間に普(あまね)きも亦宜(むべ)ならずや以て簡端(かんたん)に序すると爾云(しかいふ)
 明示一九年第四月 佛骨庵主 仮名垣魯文曳誌

怪談更屋敷実記序
名さへなまめく姫路の城下浅山鉄山が下館(しもやかた)とは彼(かの)幕明の置浄瑠理(おきじようるり)其実録を今玆に書綴りたる此史(このふみ)はと云ば弊社の作らしいが一字(すこし)も著述の筆労(ほねをり)なく古昔(むかし)の人の水ぐきの跡を其まゝ梓(デハナイ)活字に拾ひ大安売の二冊もの願ふは四方(よも)の評判ヂヤ/\
                               栄泉社員虚述


  ○粂(くめ)の平内(へいない)由緒生立(ゆいしよおひたち)の事 
        並 盗賊を打果す事
其頃江戸の浪人者ににて粂の平内兵衛(へいないびやうゑ)と云大胆不敵の武士(さふらひ)あり其祖父は織田信長公の足軽を勤務(つとめ)武勇も人に優(まさ)りし者なりしが京都本能寺に於て信長公御生害(ごしやうがひ)有し後其身の生国武州八王子に引籠り剣術を指南なし一生浪人にて生計(くらし)けるが其子薪兵衛(しんべゑ)は父の業を嗣(つぎ)門人も数多有て是も生涯浪人にて世を安々生計(くらし)けるに男女三人の小児(こども)有て男児を平五郎と呼後に平内兵衛(へいないびやうゑ)と號(なづ)く其生質怜悧(そのうまれつきれいり)にして筋骨(すぢぼね)太く逞く身の丈は六尺有余(あまり)にして又力量も双(ならび)なく剣術柔術共に父の極秘を授与(さづけ)られ其成長するに随ひては骨柄芸能(こつがらげひのう)共に父にも優りて一廉(かど)の者なれ共唯大酒(たひしゆ)を好み力量自慢(ちからじまん)にして近郷近在を暴れ歩行(あるき)人を人とも思はず良(やゝ)もすれば無体に打擲する事屡々有しかば父の薪兵衛も之を洩聞て時々異見を加ふれども更に其辞(ことば)を用ひず、父薪兵衛は是を気病(きやみ)になし終(つひ)に空敷(むなしく)なりにける然(さ)れば其後平五郎は倍々(ます/\)自慢の心を生じ今恐らくは我に優りし武芸力量の者近郷近村には是有まじ此上(このうへ)は諸国を武者修行して諸人の腕を試み其後江戸へ出(いで)仕官にも有付べし且(かつ)老母には父の求め置れし田地あれば不自由も有まじ殊更に姉妹等(あねいもとら)傍らに在て労り介抱すれば深く案ずるに及ばず此事母へ告なば歎き悲しみて許し給ふまじ寧ろ一通を遺書(かきのこ)して立退(たちのく)に如ずと思ひ定めて或夜心安き方に至りて一泊し窃(ひそか)に旅(たび)の支度をなし住馴し国を立去(たちさり)名をも粂の平内兵衛(へいないびやうゑ)と改め一先(ひとまづ)川越の城下に到りてニ三日の程逗留し此処彼処(こゝかしこ)と徘徊しけれども是と云相手に立べき者も無(なか)りけるにより不斗(ふと)思ひ出(いだ)せしには上州は百姓町人に至る迄勇気強く武芸を磨く土地(ところ)なれば彼地に到りて力量武術を顕はさんと決定し直ちに上州高崎に到り宿を需(もとめ)日毎/\に相手欲やと心待して居ける折柄此土地近き里の大(おほ)百姓の家に二十余人の夜盗(よたう)入て抜身を鼻の先に突付金銀衣類の在処(ありしよ)をば素直に案内すればよし隠し立して怪我するなと威(をと)し文句で責付られしに大勢なれ共百姓の事故誰とて拒む者もなく生命(いのち)に替る財宝(たから)なしと土蔵(くら)の中(うち)へ案内せし間に小賢(こさか)しき男一人脱出し宿中へ走り行て斯様/\と急遽(あはたゞ)しく喚(さけ)びけるにぞ俄然(にはか)に宿中の者共騒ぎ立(たち)しか共二十人余(よ)の強盗と云ひ殊に得物を持て居るとの事故皆々恐怖(おぢおそれ)誰とて向(むか)はんと云者なく唯々遠巻になし拍子木薬缶の蓋或ひは太鼓の類を手当り次第にグワン/゛\打鳴しけるに彼(かの)平内兵衛(へいないびやうゑ)は寝耳に聞付(きゝつけ)何事の起りしやと様子を聞くに大家(たいけ)へ強盗廿余人押入唯今土蔵(くら)の中(うち)に居るとの事を打聞(うちきゝ)平内(へいない)は雀躍(こをどり)して爰ぞ日来(ごろ)の望む所ニ十人や三十人の強盗共が押入りたりとて何程の事や有んと予て用意の鎖帷子を着(ちやく)しニ尺八寸の新身(あらみ)の業物(わざもの)を帯び三尺有余(あまり)の鉄杖(てうじやう)を携へ飛が如くに駈出(かけいだ)し皆々我に続くべしと云つゝ傍(かた)へを見遣り火鉢の灰を掴み出(いだ)して銘々是を紙に包みて目潰しに打付(うちつけ)べしと指揮(さしづ)をなし又一目散に彼処(かしこ)へ走り着様子を見るに強盗共は緩々(ゆる/\)と土蔵(くら)の中(うち)にて荷作り最中故機(をり)こそよけれと平内(へいない)は持(もた)せ来りし灰を取出(とりだ)し盗人と見たらば無二無三に其灰を投付よあは能(よく)ば擲(なぐ)り倒せと云含め平内兵衛は真先に進み土蔵(くら)の戸口に立塞(たちふさ)[が]り大音声に呼(よば)はりけるは此中(このうち)なる盗賊奴等(どうぞくめら)早/\此所(こゝ)に立出(たちいで)よ片端より細首引抜得さすべし斯云(かくいふ)某(それが)しは日本国中武者修行に数年(すねん)の琢磨を経たる武州八王子の住人粂(くめ)の平内兵衛道則(へいないひやうゑみちのり)なり仮令鬼神(きじん)と雖も我名を聞(きか)ば恐怖(おそれ)戦慄(おのゝ)きて遠く其後を避(さく)るなり我今宵此宿(しゆく)に泊り合せしは汝等が運の尽る所なれば神妙に詫言(わびこと)して退ぞくば生命(いのち)だけは助け得さすべし然(さ)もなくば即座に眼に物見せて呉(くれ)んずと罵りつゝ如何にや如何にと呼はれど盗人共は有無(うむ)の答もなく小癪なり切殺せと云まゝ一同に抜連(ぬきつれ)切(きつ)て懸るに平内兵衛は少も騒がず抜合(ぬきあは)せ上段下段と対戦(あしらひ)居りしが後より追付来りし宿内の若者等十四五人予て平内の指揮(さしづ)に因(よつ)て紙に包みし灰玉を目潰しに投付けるに家内の男等も是を見て得たりや得たりと灰を包み手当り次第に賊の面部へ打付し故盗人共は是に辟易なし其出口をさへ踏迷ひ狼狽廻る処を平内手早く片端より切捨/\何の苦もなく二十余人の盗人どもを切殺しければ此家(このや)の主は云に及ばず宿中(しゆくちう)の者共歓ひ大方ならず平内兵衛が技術(てなみ)を感じ合しが斯(かく)なる上は此死骸を如何致して宜しいからん後々の事を打案じ万一(もし)此儘捨置たらんには仲間の者共何時かは仕返しに来るべしとて評議区々(まち/\)なるを聞(きゝ)平内兵衛は主に向ひ今夜の始末を明細に土地(ところ)の代官所へ訴へ表向指揮(さしづ)に随ひ取計らひなば後/\の愁は有まじと申にぞ是に同意して早速此趣(おもふ)きを訴へければ直様役人等出張なし賊の死骸を検査(あらため)取捨方等(とりすてかたとう)を申付又平内兵衛の働作(はたらき)を感賞し事故なく検使も相済(あひすみ)ければ此家(このや)の主人(あるじ)は大いに歓び全く平内兵衛が勇猛の働きに依て厄難を遁れたりとて厚く謝礼抔(など)して尊敬(そんきやう)なしければ所の者共平内が武術は日本一などゝ評判なすにより今は日来(ひごろ)の慢心百倍し凡そ天が下広しと雖も我に及ぶ者は有まじと思ひ以後他国を廻るも益なき事をて是より江戸に至りて高名なる剣術の師匠を訪(とひ)是を打すゑて技術(てなみ)を顕し過分の禄に有付(ありつか)ん者と心を定め所の人々名残を惜むにも構はず聊か江戸に知音有を頼みにして高崎を打立一先江戸へと赴きけり

  ○青山主膳平内を召抱へ平内首切役を望む事
    並 罪人打首の節頓智及び平内死去の事
却説(かくて)粂の平内兵衛(へいないびやうゑ)は程なく江戸に到着なし本郷辺(へん)に住居を定め剣術指南の道場を開きける所(ところ)僥倖(さいはひ)に門弟等も殖(ふえ)るに随ひ或人の勧めにより妻を迎へ一子迄も挙(もう)けしが天性強気(がうき)の平内故往来(ゆきゝ)の者を打擲などする事屡々有しが其頃江戸に男侠客(をとこだて)と云事の流行し将軍家旗本の中(うち)にも大小神祇組(しんぎぐみ)又は白柄組(しらつかぐみ)などあり町家(ちやうか)にも同く侠客(をとこだて)流行して其中(そのうち)には浪人なども入交(いりまじ)り居(をる)ゆゑ平内も盛り場等(とう)人の群集(くんじゆ)する土地へ出(いで)ては弱きを助け強きを挫きて男を磨きけるに付(つき)自然と人々も尊敬(そんきやう)成して其名最も高く聞えしを青山主膳は疾くも聞込役柄成れば召抱て役に立事も有べしと思ひ自身に粂の宅に到り礼を厚くして懇望(こんまう)成せしに平内には素より小碌(せうろく)の人に抱へられるは不足なりと雖も是も後々には何かの都合に宜しからんと早速に承知せしかば青山の歓悦(よろこ)び限りなく過分の碌を与へ用人並を申付しに同気相求(どうきあいもと)むる主従の縁にや彼(かれ)がする事なす事悉皆(みな)心に適ひしかば青山は倍々(ます/\)不仁(ふじん)の行ひ募り日々平内を対手(あいて)に酒宴を開き又は罪人を責させるを此上(こよ)なき娯楽(たのしみ)と成(なせ)しが或日平内には死罪の者の首切役を懇望(こんまう)しけるに主人主膳是を聞(きゝ)彼が強気(がうき)にては必ず手際も宜しからんと之を許せしが是ぞ首切役の最初(はじめ)なり夫(それ)より伝はりて山田浅右衛門と云者代々其役を勤(つとむ)ると雖も其根本(もと)を訪ぬれば主膳の勤役(きんやくちう)に其役の人を極(きめ)しと云又粂の平内兵衛が千人塚とて罪人の首を千切[た]る故役中(やくちう)に二度迄塚を建し事あり山田浅右衛門も麻布の善福寺に千人塚を建たるは前にも云如く諸人の知る処にして今に存せり然るに粂の平内は或時大勢の死罪人を牢屋の前に居並(すゑなら)べ自ら傍へ立寄(たちより)先最初(まづさいしよ)の一人を切らんとする時罪人は此方(こなた)に向ひ我只今首を切られなば向ふの草へ喰付て見せんと云しに頓(やが)て首が落(おつ)ると其儘言葉に違(たが)はず遥か彼方の草にぞ喰付ける次の死罪人我は那(あ)の石に喰付(くひつか)んと云しに是も同じく前の如く石に喰付たり扨(さて)其次の一人(にん)平内を見て我は切手(きりて)の粂殿に喰付(くひつく)べしと云を聞(きゝ)平内も流石に気味悪く思ひしかども人の見る目も恥ければ屹度(きつと)意(こゝろ)に思案して罪人に向ひ汝(おのれ)今が最期なり覚悟すべしと云(いへ)ば如何にも心得たり頓(やが)て汝(なんぢ)に喰付て見せんと然(さ)も怨めしき顔色にて一念の凝る所をエイト云様(いひさま)刀の峯打(みねうち)になせしかば罪人是はと振向く処を気を抜(ぬき)て何の苦もなく首を打落したり彼(かの)死罪人は張詰(はりつめ)し気も峯打に拍子抜せし所を打落しければ罪人の一念も届かざりしとなり一座の人々其頓智を感じて評判最(もつ)とも高かりけるが夫よりして平内兵衛不図煩ひ付(つき)日々鬱々として居たりけるが小雨の降る日などは数多の首ども眼前(めさき)に顕(あら)はれ粂殿迎ひに参りしぞや率々(いざ/\)早く来(きた)らるべしと云ながら平内に飛蒐(とびかゝ)らんと成(なし)けるを平内臆せず刀おつ取切払へば忽地(たちまち)消て跡もなく白刃(しらは)を鞘に納むれば又顕出(あらは)れて驚かす事其後は昼夜の別(わか)ちなく首の数は漸次(しだい)に増(まし)て或は怨み又は罵り粂殿にははや命数尽たり夫故(それゆゑ)我々打揃ひて迎へに参りしなりいざ倶々(とも/゛\)来れと飛付て手取足取責られしに流石の平内も身体疲労(つか)れ日々に衰弱なしアレ囂(かまび)すや堪難(たへがた)やと狂ひ廻れど彼(か)の首は家内の者に見えずして唯平内の眼前(めさき)を放(はな)れず悶え苦しむ有様を見て人々種々に療養を加へしかども毫(すこし)も効験(しるし)の無くソレ其首を捨よソレ切払へと罵り後には刀を引抜狂ひ廻りけるに付(つき)家内の心配大方成ず終(つひ)には止(やむ)を得ず平内の身体(からだ)に縄をかけ罪人の如く捕縛置(いましめおき)しかば是よりして平内は尚々大声を発して詈(のゝし)り騒ぐ事昼夜絶(たゆ)る間なく汝等大罪人で有ながら卑怯にも我を怨恨(うらみ)斯(かく)苦しむるは何事ぞ其身の自業自得なり未練者めと詈(のゝし)りつゝソレ首打と叫びける故皆(みな)人恐怖(おそれ)て側(そば)へ寄付者なく且は世間へ遠慮も有ば昼も戸障子を締切大概(およそ)百日有余(あまり)苦痛なし終には声も枯切只手足を?く耳なりしが皮肉も摩擦切(こすりきれ)て海老を茹たる如く赤肌に爛れ上(あが)り狂ひ死(じに)にぞ死(し)したりける斯(かゝ)りし程に妻子(つまこ)の歎きは云(いふ)も更なり人々も気の毒に思ひ跡念頃(ねんごろ)に弔ひて七日/\の供養法事も怠りなく執行(とりおこな)ひけるが四十九日に至りし夜(よ)妻の枕辺(まくらべ)に平内来り我生涯の積悪不仁(せきあくふじん)の罪重りて地獄の呵責に寸暇(いとま)なし然(しか)れば其業消滅の為我像を石に彫刻(ほら)せ人足(ひとあし)の繁(しげ)き場所(ところ)へ建置(たておき)て万億の人に曝し呉(くれ)よ然(さ)すれば罪も少しは消滅(めつ)し未来の為にも成らんかといふかと思へば影消て更行(ふけゆく)鐘ぞ聞えける扨は夢にて有しかと妻は此事打案じ人に語るも恥(はづ)かしく一日(ひとひ)/\と過(すぐ)る中(うち)夜毎(よごと)/\の夢の告(つげ)に止事(やむこと)を得ず子息(せがれ)を始め人々いも相談なし平内兵衛(へいないびやうゑ)の石像を彫刻(ほら)せ人足(ひとあし)多きは浅草金龍山(あさくさきんりうざん)なる観世音の境内に超所(こすところ)なしとて百ケ日目に濡仏(ぬれほとけ)を建立して露霜にうたせ未来の苦患(くげん)を助けんと弁天山の近傍(ほとり)に是を建たりけり其後何者が云出(いひいで)けん此濡仏に利益(りやく)有とて人足の絶ざりければ境内の茶店(ちやゝ)揚弓店(やうきうみせ)の婦女共(をんなども)など此粂の平内様へ願へば何事にても叶ふとて尊敬(そんきやう)せし余り小き祠を立て安置しける故愈々市中に評判高く成(なり)信仰人(しんかうにん)は倍々(ます/\)増殖(ふゑ)て其仏力(ぶつりき)を授け給へば立身出世奉公望(ほうこうのぞみ)主従和合(しゆう/゛\わがふ)縁結び又は恋路の取持(とりもち)中にも遊女芸者等(ら)客縁は勿論(もちろん)年明情郎(ねんあけよきひと)に添(そは)るゝとか或ひは金銀の貸借(かしかり)万端(よろづ)の願ひ一ツとして成就せざるはなく殊に一筆(ひとふで)しめしまゐらせ候又は一筆啓上などゝ己(おのれ)/\が祈願(ねぎごと)を文(ふみ)認(したゝ)め捧ぐれば利益必らず著明(いちじ[ろ])しとて祠の中へ投入る手前勝手も多かりけり然るに其頃の事なりしか神田紺屋町に仕入の染物を渡世(とせい)になし相澤屋亀右衛門とて近隣に双(なら)びなき豪家(がうか)にして職人ども日々ニ三十人づゝ立働き男女(なんによ)の奉公人も大勢召使ひ其一家(いつけ)豊に生計(くら)せしが一人の娘有名をお染と呼年は二八の花盛り人の目に立(たつ)愛敬(あいきやう)に一しほ両親(ふたおや)も愛(いつく)しみ深く此隣家(このとなり)に岩国屋半四郎と云紙問屋あり是も福有(ふくいう)の大商人(おほあきんど)にて其家に二人の男子有(なんしあり)惣領を美之助(みのすけ)と呼次男を政次郎と云(いふ)生質肌目細(うまれつきゝめこま)かにして色白く親に勝れし美男なりとの評判なりしが彼娘(かのむすめ)お染は何時しか美之助を見染(みそめ)て恋慕(こひしたひ)けれ共互ひに大家(たいけ)の事故内外(うちと)の人目も繁く言寄間(いひよるひま)も有ざれば心の中(うち)に思ふ耳(のみ)にて日夜胸を焦し居たりしに一日(あるひ)下女共寄集り此頃世間に風聞高(とりさたゝか)き浅草の粂の平内様は其利益著明(あらたか)にして何事も叶はぬと云事なく殊に恋路の取持は速かに叶ふと云噂話しをなし居たるを聞(きゝ)て娘お染は密かに悦喜(よろこび)其翌日母(はゝ)に打向ひア[ノ]浅草の観音様へ百日参りをなせば御両親様を始め家内安全家繁昌し又好縁(またよきえん)をも結び一生夫に見限られぬとか云事を何かの本にて見し事あり何卒(どうぞ)お参詣(まゐり)致したしと強(しひ)ての望みに素より愛子(あいし)の立願故父にも斯(かく)と告(つげ)けるに直(たゞ)ちに許しの出(いで)たるにぞ日頃気に入の下女を招き密(ひそか)に心を打明(うちあか)し倶(とも)に談合(かたらひ)ながら文(ふみ)細々(こま/゛\)と書認(したゝ)め下女丁稚を召連て浅草寺(あさくさでら)へぞ急ぎける折柄其日は十八日の縁日にて参詣人も群集(くんじゆ)するに二人は観音堂を忽(そこ)/\に拝み直様(すぐさま)粂の祠に到り彼(か)の文を捧げて一心不乱に祈願(きぐわん)を籠夫より日々に通ひしが十七日目(ひとなぬかめ)の日(ひ)例(いつも)の如く懇情(ねんごろ)に拝み居たる傍らより供女(ともをんな)が袂を引故何事やらんと振向見れば今も今とて恋慕ふ心の丈を念願(ねんじ)たる彼の美之助が此方(こなた)を指て来るにぞ余りの事の嬉しさに胸轟きて忙然と顔打眺り居たりしが美之助は傍に立寄是はお隣の娘子(むすめご)ひよんな所でお目に懸(かゝ)りました見れば忍びの御参詣而(して)粂さまへのお願は荒増(あらまし)お察し申ましたが世の中にはお羨ましいお人もあるものお楽しみでござりますと云に娘は顔赤らめ如何にも恥らふ有様故彼(かの)美之助は如才なく傍辺(かはへ)の下女に声を掛(かけ)最早(もはや)御支度時分なり奥山を御案内ながらお供を致して参りませうと言(いは)れて嬉しく恥かしく間の悪さうなお染の素振りに下女は傍(そば)から急立(せきたつ)て丁度好お道連サア/\お供と云ふのを機会(しほ)に彼方此方(あちこち)と奥山を見巡(みまは)り其頃名高き菜飯茶屋(なめしちやゝ)へぞ入(いり)にける其後相沢屋の娘は日々浅草へ参詣するに随(したが)ひて顔色(がんしよく)漸次(しだい)に青ざめ何(なに)となく様子も平常(つね)に変りしかば母は大いに案じ供の下女に段々様子を尋ぬれ共最初の程は只管(ひたすら)に押隠して云ざりが猶も種々に問詰られ詮方尽て有の儘少しも隠さず説話(はなし)ければ母親は大いに驚き如何に深く云交(いひかは)すとも一人娘の事故他家へ遣(やる)事も成難く又隣家の子息(むすこ)も跡取の事なれば此方(こなた)へも呉まじ然(さ)すれば互に始終の為ならず然(さり)とて此事父に説話(はな)せば嘸(さぞ)や立腹する成(なら)んと千々(ちゞ)に心を痛めしが年老し手代を招き内々事の始末を言含め隣家(となり)の両親へ密に説話(はなさ)せけるに岩国屋にては此事を聞(きゝ)て以ての外に驚き当家の惣領息子は先般(さきごろ)近所の火事の時踏抜(ふみぬき)をなし凡そ一ヶ月も跡より平臥居(ふせりをり)今に座敷の内さへも歩行兼(あるきかね)る体(てい)なれば勿々(なか/\)浅草抔(など)とは思ひも寄らぬお説話(はなし)なり然し念の為当人を糺すべしとて子息(むすこ)を呼寄せ此趣旨(このおもふき)を申聞(きけ)れば決して然様(さやう)の覚えはなしとの答故右の事情(ことがら)を挨拶しければ手代は早々(そう/\)立帰り母親へ斯(かく)と告るにより母は愈々不審に思ひ供せし下婢(をんな)に再び問(とへ)ど全く前の話に相違なしとの事に付其翌日は供の者にも何か密々(みつ/\)言含め娘に知らせず母親は番頭一人を召連て見え隠れに跡をつけて行とも知らぬ彼娘(かのむすめ)お染は雷神門(かみなりもん)へ至る頃(ころ)例(いつも)の息子と出逢(いであふ)て連立行(つれだちゆき)しは紛ふ方(かた)なき隣家(となり)の美之助なれば母は猶も何処(いづく)へ行かと跡を慕ひ行(ゆき)しに粂の祠へ参詣なし夫より奥山なる彼の菜飯茶屋へ立入ける弥々(いよ/\)怪しく思ひしなれど其日は確乎(しか)と見届し故家に帰りて只一人熟々(つく/゛\)と思ひ廻すに那然確実(あれほどたしか)の證拠あるを憎(につ)くき隣家(となり)の挨拶かな最(も)一度明日付行(つけゆき)て二人共に捕来(きた)り親子三人(みたり)の面(つら)の皮を剥て腹癒(はらいせ)成(なす)べしと余に腹の立しまゝ我娘の恥辱(はぢ)と成にも心付ず足ずも成(なし)て翌日を待兼居たるも女気(をんなぎ)の最愚(いとおろか)なる事共なり

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ラフカディオ・ハーン『怪談』 Diplomacy(駆け引き)』の原話について
(怪談皿屋敷実録本 粂の平内兵衛と山田浅右衛門の逸話)