2017年8月10日木曜日

粂の平内 (豪傑小説) 百十三 百十四

粂の平内  雨柳子(三宅青軒) 敬文館 1905 明38.3

(百十三)
 庭には荒菰(あらごも)が敷て、其菰の上へ赤城無敵齋(あかぎむてきさい)から千田軍四郎 狼の助五郎と次第を立てゝ、縛(しば)つたまゝで坐らせ、側に水を湛へた手桶を置き、夫れに柄杓が添へてある。
 武藤金吾と本間廉蔵との二少年は、平内の斬り方を見ようと言ふので付て居る。春の夜ながら月は物凄く三人の顔を照す。いかにも忌(いや)な光景だ。
 無敵齋は悔しさうに平内(へいない)を睨むで、「どうせ死ぬる命だから、何となつても構はないけれど、併(しか)し武士たるものを縛り首にするとは酷い。死でも此怨みは覚えて居る」と怒ると、狼の助五郎は歯軋りして、「わツしもさうだ、コウ、平内、人に怨みがあるものか無いものか、よく覚えて居やアがれ」と罵る。平内は打笑ふて、「其方共は何処まで未練な奴ぢや、此後に及び尚世迷言を申すとは笑止の至り、早く念仏でも唱へて往生するが好いぞ。此平内は其方等に怨まれたとて、何の何の」と言ひながら、予(かね)て嫉刃(ねたば)を合(あは)して置た無銘の利刃(わざもの)すらりと抜て、先づ助五郎の後へ廻る。
 助五郎「ウム、おれから斬るのだな、好し、人の執念はどんなものか、其證拠に、向ふの庭石へ咬(かぢ)り着て見せる」と声を顫(ふる)はせる。千田軍四郎は之れを聞て、「助五郎、其方(そち)が庭石へ咬り着くなら、おれはあの桜の樹へ咬り着てやる」と言ふ。無敵齋「おれは振り返つて、此平内の喉笛へ咬り着かねば置ぬ」と叫ぶを、強気(ごうき)の平内何の頓着も無く「詰らぬ世迷言を言はずに覚悟致せ」と言ふ其声もまだ終らぬに、ぱつと濡手拭を振るやうな音がしたかと思へば、助五郎の首は胴から離れて向ふへ飛ぶ。血は泉の如くに上る。
 金吾と廉蔵(れんざう)とが「アツ」と叫ぶに気が付て見ると、これは不思議、助五郎の首は、今言つた通りに飛で往(い)つて、庭石の角へ緊(しつ)かりと咬り着た。さすがの平内も大いに驚いて覚えず立竦(たちすく)みになつて、金吾が其血刀(ちがたな)へ水をかけて居るのも知らなかつた。
 軍四郎「助五郎、出来(でか)した、今度はおれの番だな」と言ふところを、又ぱつと斬ると、首は勢ひよく飛で、桜の樹へがツしり咬り着く。金吾は吃驚(びつくり)して、「先生、御用心遊ばしませ」と小声で言ふ。廉蔵は声を顫(ふる)はして、「お兄い様、無敵齋の首はどんな事を致すか分りません」と怖れる。
 「ウム、ウム」と点頭(うなづき)ながら、平内は血を洗ふた刀を提(ひつさ)げて無敵齋の後ろへ廻る。無敵齋は、「助五郎も軍四郎もよくした。平内、覚悟を仕(し)ろ」と捻向(ねぢむ)く首をぴたりと刀の刃棟(はむね)で撃(うつ)て、其気をぬいて、今度はばつと斬離す。之れに欺(だま)されて、無敵齋の首は前へ落たが、併し此方(こち)らを向て、二度(たび)三度瞬きして、いかにも無念と言つたやうに、凄い眼をして睨むで居る。
 廉蔵「怖ろしい執念で御坐りますな」、 金吾「何とした未練な奴で御坐りませう」と言ひながら、平内の刀へ水をかける。平内は其刀の血(のり)を拭うて、「イヤ、天晴の斬味、無銘ながら確かに名作ぢや」と鞘へ納めて、偖て軍四郎と助五郎の首を査(あらた)めて見たが、これも眼を見張たまゝで、樹と石と咬り着て、丸で生きて居るやうである。平内が刀の棟撃(みねうち)で一度欺して其の気をぬか無(なか)つたなら、無敵齋の首は捻向て平内へ飛着たであらう。平内の頓智も豪(えら)いが、併し人間の執念と言ふものも怖ろしい。
 下僕(しもべ)を呼で首と死骸の始末をさせ、強気(ごうき)の平内一向平気で其夜(よ)は寝た。ところで色々の夢を見る。幾人幾十人を大根や菜ツ葉を切るやうにした是までとは違(ちが)うて、何やら怪しい夢に魘(おそ)はるゝ、我ながら不思議と我を疑ふて、度々起てお里に訝かられたとは妙である。

(百十四)
 何やら合点は往ぬが、無敵齋 軍四郎 助五郎の執念深いのに忌(いや)な気持のして、平内は是までに無い菩提心を起し、此翌日三人の死骸を、密かに長兵衛の寺の源空寺へ葬つた。
 其夕暮に托鉢僧が門に立て、鉦を敲(たゝ)いて念仏を唱へて居るに、平内は之れを呼(よば)しめ、三人の為めに供養をさせようとすると、此僧は辞退して、「わたくしは真の乞食坊主でお経などは存知じませず、迚(とて)もこなた方のやうな御大家のお座敷へ上れるものでは御座りませぬ。賤しい汚れた身で恐れ入りまする」と言ふ。妙な坊主と、平内は好奇心から出て見ると、年頃四十ばかりの実の物凄いやうな大男で、筋骨逞ましく眼の玉据つて、ひと目で天晴な武術者と言ふことが分る。
 仔細あるらしい坊主と、平内は強て呼入れ、経文読誦は兎も角斎(とき)でも振舞ふからと言ふので座敷へ請(しやう)じて、「某は当家の主人(あるじ)平内であるが、見受けるところ御坊は本(もと)武士と察せらるゝ、いかなる訳のあつて、斯く出家せられたか」と尋ねると、「天下に誰れ知らぬもの無い平内様の御眼力恐れ入て御座りまする、いかにもわたくしは武士の端くれ、剣術槍術なども少々は学びましたが、イヤ、血気に任せて余計な罪を作つた祟りで、種々様々の禍に罹り、一念発起の果が斯(こ)んな姿、鬼の念仏とはわたくしの事で御座りませう」と言ふ不思議さ、平内は愈ゝ怪しく思ふて、「はて、妙な事を承はる、お差支へ無くば其発起の次第をお話し下されたい、某も此頃些(ち)と考へることが御座るから」と、やがて斎(とき)を進て燈火(あかり)をつけて、又余儀もなく問ふた。
 平内の真面目な問ひに動かされたか、坊主は珠数を爪繰(つまぐ)りながら、「平内様ともあらう御方(おんかた)からのお尋ねとは恐れ入た事で御座りまする、わたくしの懺悔お聞下され何を秘(かく)しませう、わたくしは肥後熊本の士(さむらひ)で、上月(かうづき)進十郎と申すもの、幼年から好む武術の為め、随分多くの人を悩まし、自分の伎倆(うで)の他人に勝るを鼻にかけて、高慢我慢の果が、喧嘩口論(けんくわこうろん)決闘(はたしあひ)、人を殺すことの面白くなり、自ら請(こ)ふて、人の忌(いや)がる劊手(きりて)を劊受(ひきう)け、打首になる科人は皆わたくしが斬りました、ハイ、二十歳(さい)の頃から昨年の秋の四十歳まで、二十年の長の年月千人に余る首を斬た報いは、怖ろしや妻に祟り子に祟り思ひも寄らぬ非業の最期を遂げまして、わたくしさへも折にふれては怨霊に苦しめられる気味の悪さ、つく/゛\身の罪が怖ろしくなりましたので、暇(いとま)を乞ふて俄かの出家、斯(か)うして乞食坊主になり下り、諸国を行脚して罪障消滅を祈るので御座りまする」と言つて、後は念仏を唱へて居る。
 「ウム」と平内も胸に答へて、「成程御殊勝なことで御座るが、併(しか)し御坊罪あるものゝ其罪に依て斬殺さるゝは当り前、夫れで、人を怨むで其人に祟るなどゝ、実に理屈の分らぬ次第」と言ふを、進十郎坊は、「其御不審、一応は御尤もに伺ひまする、わたくしも若気の血気から左様に存じてこそ二十年も面白がつて劊手(きりて)を致したので御座りまするが、打首にせらるゝ程の悪人、違拗(ねぢけ)た心は息の絶える最期まで改まらず、自分の罪を悟るどころか只もう役人を怨み劊手(きりて)を怨み、此劊手さへ無ければ自分は斬られずに済むものゝやうに思ひ僻むで、斬らるゝ刹那の一念凝(こつ)て、こゝに不思議な作用(はたらき)をなすものと存じられまする。論より證拠、人を多く殺したものに其終りを善くしたものは御座りませぬ」としみ/゛\言ふ。

国家図書館デジタルコレクション


ラフカディオ・ハーン『怪談』 Diplomacy(駆け引き)』の原話について
(怪談皿屋敷実録本 粂の平内兵衛と山田浅右衛門の逸話)