2014年6月17日火曜日

黒田如水伝 第三章 官兵衛の幽囚 (1)

第三章 官兵衛の幽囚
政職信長に叛く…官兵衛政職を諌む…官 兵衛義を守り御着に勤仕す…職隆武備を修めず能楽を催す…官兵衛有岡城に赴く…荒木村重官兵衛を幽囚す…官兵衛・松寿死活の問題…職隆官兵衛を捨てて素志 を貫く…家臣誓書を以て二心なきを盟ふ…信長松寿を殺さしむ…竹中半兵衛松寿を美濃に匿まふ…信長有岡城を囲む…母里・栗山・井上の苦忠と加藤の情宜…獄 窓の藤花未来の瑞祥を告ぐ…有岡城の兵燹に栗山官兵衛を救ふ…官兵衛戸板に乗り信長に謁す…信長の慚愧…官兵衛有馬に湯治し姫路に帰る…秀吉官兵衛の手を 取り涕泣す…官兵衛黒田の本姓に復す
是より先き荒木村重は、陰かに款を毛利氏に通ぜしが、天正六年九月に至り、公然叛旗を翻して、信長に叛く、偖村重の謀叛は、独り小寺の宗家に累を及ぼすのみならず、官兵衛が一世一代に於ける断腸の記なれば、今玆に其の顛末を叙述せんとす

抑 も荒木村重が有岡城に籠りて、信長に叛きたるは、全く毛利氏の計略に依るものなり、曩に将軍足利義昭は、信長に迫害せられて京都を去り、漂流して毛利氏に 寄食せしが、信長の中国征伐を企つるや、義昭は毛利氏の内意を受け、窃かに侍臣を遣はし、村重を説きて、毛利氏に応援せんことを勧む、適ま村重・信長の勘 気を蒙り、悒々として楽まざる際なれば、終に意を決して信長に叛く、信長乃ち家臣を有岡城に遣はして、村重を説諭したれども、村重更に承服せざるのみなら ず、却て小寺政職を説きて、毛利氏に加担せんことを勧む、元来政職は、村重の同志なれば、直ちに前約を破りて、信長に叛かんとす、

官 兵衛大に驚き、政職を諌めて曰く、今ま臣が信長に叛くの不利を陳弁するものは、我が児・松寿を人質に出したるが為めにあらず、信長は将来必らず天下を統一 すべき英傑なれば、此の人を推戴すること、小寺家の武運長久を謀る良策なればなり、加之曩に自から進んで信長に属し、今又其の誓約を破りて、毛利氏に従ふ こと、実に背徳不義の極にして、武将の恥づる所なり、希くば此の利害を熟考して、前約を守り給はんことをと、諄々と諌諍したれども、政職少しも顧みるの色 なく、又其の老臣等は、陰かに相謀りて、官兵衛を殺さんと企つ、

於是官兵衛姫路に赴き、職隆に其の由を告げて、善後 の策を謀る、職隆乃ち重臣を集めて、其の所見を問ふ、列座の面々皆な曰く、御着の主従は頑冥にして、官兵衛殿の真意を了解すること能はざれば、如何程小寺 家の為め、懇説せられたりとも、彼等は覚醒すること能はず、却て是れ小寺家を危ふするものと、猜疑するに至らん、縦ひ今・官兵衛殿、再び御着に帰り、信長 公推戴の事を勧めらるゝとも、彼等は反省せざるのみならず、或は官兵衛殿を殺害するやも計り知るべからず、故に先づ病と称して姫路に留まり、「日々御着へ 使者を遣はし、老中近侍に御追従を[遊被候]て、危難を免るゝに如かず、然れども彼等の疑団猶ほ解けず、兵力を以て攻め来ることあらば、直ちに之を撃退 し、進んで御着城を陥れんのみと、

官兵衛之を宥めて曰く、諸子の意見は、一理なきにあらざれども、御着に於て公然敵 意を示さざるに先ち、姫路城に楯籠れば、是れ即ち小寺殿に対し、弓を彎くものなり、又病と称して、御着に帰らざれば、我が怯懦を天下に示すのみならず、却 て彼等に辞柄を与ふるものなり、我再び御着に帰ると雖も、我家の武運尚未だ尽きずんば、我が身に危難の及ぶことなからん、若し又小寺殿の猜疑霽れずして、 我を殺害せらるゝならば、是れ我が武運の尽くる時なり、義を守りて一命を惜まぬは、弓矢取る身の兼ての覚悟なりと、

官 兵衛の言了るや、職隆膝を拍つて曰く、官兵衛の決心最も我意を得たり、一旦信長公を主君と戴き、又小寺殿を旗頭と仰ぎたる上は、信長公に対し二心を懐か ず、又小寺殿に向て忠義を尽すこと、是れ職隆父子が守るべき正道なり、若し正道を守りて、尚ほ殺害を免かるゝこと能はざれば、是れ天の我が家を滅ぼすの時 にして、少しも歎くに足らざるなり、往け官兵衛、汝は速に御着に帰りて、平常の如く勤仕し、力めて自ら危難を招くこと勿れ、若し不幸にして、危難を免るゝ こと能はざる時は、潔く割腹して、武士の本分を守れと、官兵衛毅然として答へて曰く、謹んで教訓を遵奉せん(黒田家譜)と、将さに辞して御着に帰らんとす るや、父子相顧み、是れや今生の別れならんと、互に両眼に涙を泛べて、無言の間に袂を分ちたり、家臣等は、此の悲壮勇烈なる態度に感激し、斯る父子の為め には、身命も惜しからずと、各々期せずして決心したり

御着の老臣等は、曩に官兵衛が、窃かに姫路に赴きたるは、全く 彼等の陰謀を覚り、姫路に赴き職隆を説きて、籠城する為ならんと思ひしに、官兵衛が平常に異ならず、再び還り来りたるを見て、皆な案外の思ひを為したり、 翌日官兵衛は、老臣等を自邸に招きて、饗宴を催せり、故郷物語は其の有様を記して曰く、
姫 路へ参り、珍敷肴・求来り候、御出候へかし、料理仕・心閑に話[申可]など、自筆にて申遣ける、年寄共何とぞ官兵衛たらし度思ふ折柄なれば、急ぎ官兵衛所 へ行ける、態と大勢呼集め、いかにも打解用心もせず、もてなしければ、何れも帰りさまに集り、扨も今日官兵衛亭主振り目を驚せり、何程つくろふ共、心底も 有ものは紛ぬものなるが、能々心を付しが、少も心に掛る事なし、先安堵也
と、何れも感服したれば、曩きに老臣等が、官兵衛を殺さんと企てしも、今は却て官兵衛が術中に翻弄せられて、終に彼を殺害するの機会を逸し去りたり

今 や眼を転じて、姫路に於ける職隆の動静を視るに、官兵衛既に死を決して姫路を去るや、職隆老臣を集めて、御着に対する方針を協議す、老臣皆な曰く、御着と は到底紛争を免るべからざれば、彼より姫路に攻め来るまで、拱手坐視すること、策の得たるものにあらず、故に一方に於ては、先づ御着に偵察を遣はして、政 職の動静を窺ひ、又一方に於ては、姫路城の守備を固めて、緩急に応ずる準備をなすべしと、職隆曰く、今は兵備を厳にせんより、寧ろ娯楽に日を暮して、武備 を怠るの外観を示すに如かず、暫らく我が為す所に任せて、時機を待つべしと、

職隆乃ち当時播州に徘徊せし能役者、金 剛又兵衛を聘し、毎日城内に於て、能楽を催さしむ、是より先き政職は、間諜を姫路に遣はして、職隆主従の動静を偵察せしめしが、職隆の家臣日々城内に集 り、誰は鼓、誰は太鼓と、各々其の役割を定めて、能楽の支度に忙しく、更に戦争の準備を為す形勢見えざれば、間諜乃ち御着に還りて、其の由を政職に復命 す、御着の主従は、此の案外なる報告に驚き、暫し為す所を知らざりきと云ふ



小寺政職(こでらまさもと)
兵燹(へいせん) 戦争による火災。兵火。
曩に(さき)に
適ま(たまたま)
悒々(ゆうゆう) 心がふさいで楽しくないさま。
諄々(じゅんじゅん)
諌諍(かんそう) 争ってまで諌めること。
於是(ここにおいて)
先ち(さきだ)ち
怯懦(きょうだ)
辞柄(じへい) 口実



黒田如水伝
クロダ ジョスイ デン
金子堅太郎 著
博文館 1916



01. 02. 03. 04. 05.